心の墓場

ここは言葉の掃き溜め、墓地のような場所。                      愚痴が中心ですので苦手な方はお笑いでも見ててください。

日本の夜明けぜよ

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竜馬がゆく」という作品がある。司馬遼太郎が物語の主人公に坂本龍馬という人物を採らなかったら、彼は今ほど有名にはならかっただろうし、多くの日本人に「幕末」という世界観を植え付けた。

あまり司馬遼太郎の作品は好きじゃ無いが、先生の作品が多くの人々に歴史的興味を抱かせた点については偉大なる功績だと思っている。

 

僕も歴史好きで、高校の時に歴検2級(日本史)に合格した。

でもスタートは三国志からで、最初は中国史に興味津々だった。日本史に興味を持ったのはその延長で、まず出会ったのが坂本龍馬だった。

つまり、歴史を語る上で龍馬と幕末は原点ともいえる存在。坂本龍馬がどのような人物かはさて置き、彼の名前を耳にすると「あの頃は日本史関連の書籍ばっかり買ってたなぁ……」と回想するのである。

 

 

没後150周年を迎え、開催された龍馬展。

たしか長崎の方でもやってた気がする。その時はシーボルト展見てたんですよね。(東京と入れ替わりなのかも)

龍馬の事ばかりではなく、彼を取り巻く情勢(幕末)の展示も多くて、観ていて「龍馬と幕末」展といった方がしっくりくるかも。

 

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今回の展示の目玉、龍馬の愛刀「陸奥守吉行」です。

最近の調査で本物であると分かったやつですね。もしかしたら重要文化財になるかもしれません。

それ以外は、殆どが手紙です。家族や妻のおりょう、他藩の志士に送ったものまで幅広く筆を執っていることが分かります。同時代の志士と比べても非常に筆まめで、脱藩浪士(後に復帰)でありながら土佐藩の渉外担当だった事も理由の一つとして挙げられます。

龍馬は京都近江屋で暗殺され、明治という日本の夜明けを迎えることができませんでした。歴史にIFはありません。彼が新時代に何を見据えていたのかは、龍馬にしか知らないのです。

僕らにできることはそれらを伝え、保存すること。そこから先は自分で答えを見つけていく――それが歴史だと僕は思っています。

 

ちなみに次の江戸博の展示は「直虎と直政」だそうです。

大河ドラマのタイアップやね。

 

鳴り響け! 獣奏剣!!

子どものころから「ヒーロー」が好きだった。

仮面ライダーとか、ウルトラマンとか、戦隊とか……

日本は恐らく世界一「ヒーロー」の多い国だと思う。そして僕は彼らから多くのことを学び、憧れた。音が鳴るだけの単純なおもちゃに憧れた。

 

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みんな大好き「ドラゴンシンフォニー 獣奏剣」です。

日米で最も愛された6人目の戦士「ドラゴンレンジャー」の武器であり、自身の守護獣ドラゴンシーザーを操る笛という斬新な設定は多くの子どもたちを虜にしました。

戦隊シリーズ史上、初の追加戦士(レギュラー出演)とも言われるドラゴンレンジャーは獣奏剣あって無二の存在だと僕は思っています。両方ともめっちゃカッコいいのが卑怯。

 

それでは中身を開けてみましょう

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本体と台座(組み立て式)、そして小冊子と特製イラストカードが封入されています。北米版(パワーレンジャー)の方はホルスターが付いていたそうですが、飾るのに不便だから台座に変更したそうな。

 

そんでもって飾ってみる

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写真だからちょっと分かりづらいかもしれませんが、結構大きいです。

実寸50㎝ぐらいあると思います。

ダイキャスト製なので見た目のわりに重いです。遊んでると腕が疲れる……

電源には単4電池×2を使用。斬撃音3種と専用メロディ4種の計7つが楽しめます。発売当初そのままの「音が鳴るだけのおもちゃ」となっております!(当時は合体ロボを売るのが主流だったのです)

 

15年の時を経て再販復活した獣奏剣。

一番好きな戦士の一番好きな武器が目の前にある感動。あー、言葉じゃ表せない。こういうの感無量っていうんでしょうね。

では、ドラゴンシーザーを呼んでみるとしましょう(やめて)

 

P.S.ドラゴンバックラーも買いました。

 

HGUC ZⅡ

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大変お待たせしました。永い時をかけて(というかサボって)ZⅡを組み上げました。

ようやく積プラが目減りしてきた感じです。

 

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立脚させるとこんな感じ。華奢なデザインに反してちゃんと自立します。

武装なども一通り揃っていて、値段に見合う感じです。

あと意外にデカい。

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差し替えパーツでWR状態に変形させることができます。

(※面倒くさいのでWRにはしていません)

 

可変型MS(Z系統)のプラモデルとしては非常にかっこいいのですが、主兵装のメガ・ビームライフルの取り扱いが悪く、ポージングが取り辛いというのが致命的。パッケージ箱のようなポーズはまず無理です。

可動自体はそこまで悪いわけではないのですが、可変型MSだからなのか特殊な感じがしました。可変型のキットは繊細なイメージがありますね、何となく。メカニックデザインが反映されていると思うと、組んでいるときに色々発見があって面白いです。マクロスバルキリーとか。

 

最近ではゲームでの活躍が多く、人気機体となったZⅡ。様々な後継機が作られ、その完成形あるリゼル連邦軍の主力となっていきます。Zの系譜はMS開発史に大きな足跡を残していくのです。

そんでもって次はHGUC Zplus(ユニコーン Ver.)を作ろうかなと思っています。Zガンダムのリファインが出たので、Z三兄弟を揃えるのもいいですね。Zの系譜が続きそうです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マイペース大王

GW前ぐらいだろうか、人生で初めて声優イベントなるものに参加した。

偶然買った雑誌にイベントの参加応募券が付いていたので、送ったら運良く当選。せっかくなので行ってみようと、未知の領域に飛び込んでみたわけだ。

しかし広場恐怖症の僕にとってイベントのような人が集まりやすい場所や環境はパニック発作を起こしやすいので、病気になってから避けている。どうしてもというときには発作止めのトランキライザーを飲むしかない。今回のイベントも多く薬を飲んで予期不安を和らげている。

今回はイベントというよりも、その声優さんのトークショーで、100人程度の規模だったので助かった。楽しむ余裕が出来たという意味で。そこで思ったのはヲタクって変わったなぁということ。

僕はいわゆるオールドタイプのヲタクであると自負しているのだが、僕より若い世代の人たちは「新人類」といえばいいのか、雰囲気が全く違う。ヲタクであることを楽しみ、前面に押し出している(あるいは開き直っている)感じが凄い。僕みたいに「ヲタクは日陰者」というイメージを持っていないのだろう。

今ではヲタクもサブカルチャーの主流として市民権を得たが、それも最近の話。子どもの頃から鉄道・アニメ・漫画・ゲームが好きな僕は電車男という作品が話題になるまで(趣味に関して)肩身の狭い思いをしてきた。その当時はヲタク趣味といえば半ば犯罪者予備軍みたいな扱いでネガティブな印象が強かった。「私はヲタクです」なんで公言できる世間体ではなかったと思う。

しかし、ゼロ年代に入ってアングラだったインターネットが普及し始め、電車男という作品が世間一般の認識を塗り替えた。僕はここがヲタク文化の大転換点だと思っている。しかし僕の周り(当時)はヲタクに対する風当たりがまだ厳しくて、そういう趣味はひっそりと楽しむというスタンスが身に付いてしまった。そんな時にであったのが「げんしけん」という作品だった。

げんしけんは僕にヲタクである勇気をくれた作品だった。日陰者であることを自認しながらも、それを曲げずに青春を謳歌する物語に憧れた。自分もああなりたい。大学生になったらモデルになった筑波大学げんしけんに入るんだ!(アニメでは中央大学)と思った矢先、僕は双極性障害になった。親のせいで重度の広場恐怖にもなった。おかげでリチウムを生涯飲む日々。今ではそれなりの大学に在籍し、マイペースに過ごしている。

病気にさえならなければ、ヲタクであることを謳歌していたのだろうか。そう思うと後悔は尽きない。なかなか積極的になれないというのが、心苦しい。今はただマイペースに、その瞬間を楽しむ事しかできない。生きることを止めるまでは。

 

 

三国志大戦

GWが近づいてまいりましたが、皆様どのように過ごすのでしょうか?

「仕事です」と言う人もいれば、僕のように中途半端に予定が入っている方も多いのでは。基本、休日も平日も関係ない人なんで趣味に興じてるんでけどね。

 

そんで今日は趣味の話。

平日は外も大概空いてるので、散歩がてら外出するようにしているのですが、目的が無いと「外に出よう!」という気が出てこない。だから嫌でも目的を作って外の空気を吸うようにした結果―—ゲーセンに入り浸ってます(爆)

じゃあゲーセン行って何してんの? って話になるのですが、三国志大戦にどっぷりハマってしまいまして。仕様が変わってリニューアルしたのをきっかけに隙あらばカードを動かす日々。1日の上限金額を定めているのですが、塵も積もれば山となる――今では100枚以上も集めてしまいました(それでも少ない方)。

始めた当初はカード欲しさで、何が出ても嬉しかったものですが、段々とカードが集まってくる内にやっぱり「いらないやつ」っていうのが出てくるんですよね。そこで、新機能トレードシステムの登場です。不要なカードを互いに交換することができるトレードは全国規模で利用することのできる単純だけど凄いやつ。ただ便利かどうかと言われると(個人的に)ちょっと微妙です。それは新しくなった三国志大戦の仕様に関係しています。

大きく仕様が変わった三国志大戦は、排出(印刷)された武将カードはプレイヤー個人ではなく、プレイヤーが所持するIDカードに帰属します。いわゆる「紐付き」と呼ばれる仕組みです。つまり、このゲームにおけるトレードというのは単純なカードの交換ではなく、カードデータの交換ということです(カードは残るがゲームには使えなくなる)。

ですから、当然不要になったカードは売ることができないのでトレードに出すぐらいしか道が無いのです(他者に譲ることもできない)。しかし全てのカードをトレードで捌けるわけがありません。しかしプレイしていく限りカードは増えていく。SEGAだってこれぐらいのことは予見できたはずです。カードの縛り付けに関してはもう少し緩めてもいいのではないでしょうか。

個人的には不要なCやUCなどのカードを縁に交換できればいいなぁと思ってます。縁が溜まればSRが確実に手に入りますしね!(でも将器はランダム)

もっと筐体が増えるといいんだけど……

 

 

君を知ること

4月に入って、桜が美しい季節になった

つーても中旬になってしまったので、近くの公園の桜は散り散りになっているが……それでも風に舞う花びらは美しいものである。

この前も親戚の叔母さんがやってきて、小さなはとこを連れてやって来てくれた。「もう脚本とかって書かないの?」叔母さんが話すと「書くとしたら気まぐれですね」と冷たく答えてしまった。スクールを辞めてから、その気になったら書く程度の気持ちでずっといたから、自然と言葉に出てしまった。その後の叔母さんのしょんぼりした表情を見て、悪い事をしたなぁと思った。皮肉にも書くことをセーブすることで体調がよくなってる節がある。何もせず、好きなことだけして過ごす。怠惰な日々を送ることで健康を維持している。

書くことは嫌いではないが幾分疲れる。5年間の修行でそれなりのノウハウを掴めたものの、モチベーションが無い。

我が家は芸術家の血筋で、文章を書く人が僕以外殆どいない。いるとしたら、夭折した僕の大叔父が小説家の卵で有望だったそうな。親類は若くして亡くなった大叔父の血を引いているとよく騒ぐ。そんな大層なもん書いてるわけじゃないんですけどね……(文才もないだろうし)

でも、最近思うのは自分は文章ぐらいでしか身を立てられないということ。それは自分に自信があるからとかじゃなくて、病気のことだったり、スキルだったり――そういう社会で生きていくためには文章を書くことぐらいしか自分には出来ないのではと。趣味でもいいから、書くことが人生に直結するのではないかと思い始めている。

4月になるといつもこんな感じになる。学生や社会人たちが羨ましい。ああやって普通に勉強して、働いて、結婚して、家庭を持って……敷かれたレールでもいいから僕は普通の人間になりたかったなぁ。

ホント、どうして生まれてきたんだろう。

 

 

声優アワードの限界

第11回2016年度の声優アワード受賞者が発表された。

毎回、アニメ・声優ファンの間で論争を繰り返している賞であるが、今回はいつもと違う空気を醸し出した。

(とりあえず)最高の名誉とされる「主演男優・女優賞」に神木隆之介上白石萌音が選ばれた。2人の名前を見ればわかる通り、出演作品は両人とも「君の名は。」の1つだけである。またシナジー賞にも君の名は。が選ばれており、受賞の選出に公平性を欠いているのではという声が後を絶たない。

また特別賞にはのん(能年玲奈)が選ばれており、今年度は「声優」アワードにも関わらず、3人も実力若手俳優が受賞する異様な光景を見せている。

 

しかし、普段声優業をしない俳優が声優アワードを受賞するというのは筋違いでは? という考えもちらほら見られるが、僕自身は演技をする者は声優に限らず全て「役者」なのだから、例え俳優でも「声優」としての演技が評価されれば声優アワードでの受賞は当然だと思っている。

ただまぁ、今回に関しては露骨だったと言わざるを得ない。確かに神木くんや上白石さんは受賞するに値すると思っているが、シナジー賞辺りが妥当ではなかろうか。能年ちゃんの特別賞はそういうバランスを考えた受賞で、君の名は。をブランド化しようとする商業的ないやらしさを感じてしまうのである。

 

正直今回の件で声優アワードの権威は失墜したと思っている(元から無いとか言わないの!)。役者にとって賞などの名誉はキャリアであり、その根底にあるのは信用である。信用のない名誉ほど厄介なものは無く、授与されても無下に断ることもできない。現在の声優アワードには信用が無く、受賞しても自慢にもならないし、仕事にもつながり辛いということである。そういう意味では、主演賞を獲った2人はある意味被害者と言えるかもしれない。

 

通常こういった名誉賞は選考基準と選考委員をきちんと公表した上で、受賞理由を選考委員会や選考委員が明確に説明する。このような公平性を保つ仕組みを維持できなければ、声優アワードは自然消滅していくだろう。しかしこれらは声優アワードに限ったことではない。続けるための努力をするか、そのまま風化していくか――これは選考委員会だけに言える話ではない。声優界がこの件についてどう向き合うかという課題でもあると思う。