マリーアントワネット展
どうして我々は彼女に惹かれるのだろうか。
それはただ彼女が「美しい」からである。
つーわけで、六本木森アーツセンターで開催中(2月まで)のマリーアントワネット展に行ってきました。
彼女の生い立ちから結婚、そして処刑に至るまでの生き様が多くの美術品と共に紹介されています。
彼女の部屋なども展示として再現。フランス王妃となったマリーアントワネットの暮らしぶりが伺えます。なんというか、名前だけの存在だった彼女が等身大の「人間」に感じられました。マリーアントワネットちゃんマジかわいい。
最早こっちが目的となってきた図録集め。当然買ってきましたよ~
こちらが表面。赤一色でまぶしいです。
裏面。有名なマリーアントワネットの画ですね。どうでもいいですが、僕はこの画を10分ぐらいずっと眺めてた気がします。それぐらい美しかった。ご本人はもっと美しい方なのでしょう、きっと。
音声ガイドのおまけで貰った栞。ガイドも美術展にしては珍しくストーリー調になっていて、楽しみながら鑑賞することができました。オススメです。
世界史でもフランス革命やブルボン王朝最後の王妃として有名なマリーアントワネット。あのマリア・テレジアを母に持つ彼女の人生は波乱万丈でした。だからこそ、後世まで語り継がれ多くの人々を魅了するのかもしれません。僕もその中の一人。彼女の画を見たとき、素直に「きれいな人だなぁ……」と見惚れてしまいました。
人間は画を通してでも「永遠の美」を感じることができる生き物なのだと、改めて思う展示でした。
HGCE フリーダムガンダム
はい、というわけで積まれたガンプラの中から今回はHGUCフリーダムガンダムを組んでみました。全体的な感想としては「ウイングが重い」この一言に尽きると思います。
ガンプラ画像を上げるときは当然のことながら「撮影」することが付いて回るので、どれぐらいの重心で立脚するかなどのポージングが重要になってくるわけですね。
今回のフリーダムの場合、ウイング(背中)が重いので通常状態では立脚しません。上の写真のように重心のバランスをとるようなポージングでないと正面からの撮影は難しいということになります(それにしても下手な写真だなぁ……)。
このようなことはフリーダムに限ったことではないので、組み上げたキットをカッコよく撮影したいときはやはり支柱を使うのが無難だと思われます。
もはや代名詞となったフルバースト状態
どうでもいいですが、これは少しだけアオリ(ローアングル)で撮ってます。こういった簡単な撮影技法を使うだけでも機体をきれいに見せることができます(これはきれいじゃないけど)。プラモデルには作る楽しさもありますが「撮る」楽しさも同じぐらいにあると思います。皆さんはどっち派かな?
久方ぶりにガンプラを作ったので、スミ塗りとかすごく汚くて、上手い人のを見ると「どうやってんのかなぁ」と感嘆するばかりです。誰か教えてクレメンス。
次はRGを作ろうかなと思ったのですが、スケジュール的にそんな余裕もなさそうなので簡単なやつにしようと思います。パッパッと作れるやつね。
完成まで暫しお待ちを。ではでは
重要なのは「きっかけ」ではなく「動機」
2017年、皆さま明けましておめでとうございます。
成人の日も過ぎて、街の景色もすっかり日常に戻ってきました。
さて、新年最初の話題にしたいのは「恋愛」について。
といっても実際の恋愛話、恋愛論について語るわけではありません。
物語を作る上での「恋愛要素」です。
この前、ゼミの友人が「恋愛物は作るのが難しい」と難儀しているのを見て、ふと気が付いたんですね。重要なのは「動機」であると。
恋愛劇(ラブストーリー)って結構ピーキーな分野で、恋愛を主軸にするシナリオを書く人はすげぇと常々思うわけです(ギャルゲーのライターさんとか)。恋愛経験が作品の良し悪しに直結する訳でもないし。
ある人はセンスだと言うけど、僕はそうは思わない。きちんと順序立てれば、恋愛劇は妄想であっても成立すると思うのです。ただしこれは創作でのお話ね(笑
僕が影響を受けた恋愛劇(あるいはラブコメ作品)はたくさんありますが、それらに共通する項目として
・相手との出会いがあること(ファーストシーン)
・恋への動機が必ずあること(好きになった理由)
・動機への葛藤(理由を考えさせる)
この3つが恋愛劇における必須ともいえる要素だと分析しています。
最低でもドラマにしなくてはいけないので、「恋愛」を通じて主人公(ヒロイン)がどう変化していくか。という点に尽きると思います。実体験については説得力を持たせるための肉付け程度でいいじゃないかと。でもまぁ書くなら、多少の恋愛経験はあった方がいいと思いますやっぱり(爆
最期にどうでもいいですが、アマガミから9年後の世界を描いた「セイレン」が放送開始となりました。七咲の弟(郁夫)も立派なイケメンとして主人公の親友ポジ?として帰ってきました。セイレンはよく分かりませんが、アマガミはゲームもアニメもよくできているので、恋愛シーンが書けないとかで困っている方はプレイ・観賞するのも一興かと思います。
クライマックス!
今日は12/31。世間では大晦日、2016年最後の日。そしてコミケの3日目です。以前の私でしたら国際展示場の長い列にいたと思いますが、広場恐怖になってしまったのでそれも叶いません。病気になって6年目になりますが、適切な治療を受けさせてくれなかった親を憎むばかりです。
そんな後ろ向きな前置きはポイーで。
簡単に今年の総括です。
上半期(1~6月)
・ゼミ脱退
・同人誌の新刊発行
下半期(7月~12月)
・特に理由もなくピアノを習い始める(継続中)
・小説解禁
・獣奏剣再販決定(もちろん予約)
そんぐらいです。意外に少ないな……
一番大きかったのは、ピアノと小説かなぁ。2号目となる同人誌も好評で、刷った分全部捌けたのは自分でも驚きです。また来年も新刊を出す予定でいるので宜しくお願い致します。
小説の〆切が近いので中身スカスカですが終わりたいと思います。
皆さまよいお年を
新しい景色
フリーな立場になって、3か月ぐらいになっただろうか。
僕がゼミを離脱したぐらいに、親交のある同期のFさんも抜けたみたいで違う方向性で活動していくとのことだ(正確には持ち込み)。僕自身、コンクールってやつを信用してなくて、作品の完成度を測る指針として活用してきた。しかし、そのゼミを抜けた方はコンクールの受賞歴もあるし、最終選考の常連。そんな実力者でもお仕事を貰うことはできていないようで、業を煮やしたのか原稿(プロット・企画)をコンクールではなく制作会社などに持ち込む方向にしたそうだ。とある有名な脚本家さんとお話していた時、「脚本家になる一番の近道は制作会社に入るか、直接売り込むかのどっちか。あとはコネだね」とド直球に言われてしまった。それ以来、僕はコンクールというものを信用していない。受賞してもそれがお仕事に直結する訳ではないし、脚本家の大半はコネであるという現実があるからだ。個人的には名前を覚えてもらえれば幸い程度の気持ちがちょうどいいと思う。
フリーになって活動に含みができたので、僕もFさんのように制作会社や出版社に積極的に売り込みたいと考えている。もちろんコンクールなどを定期的な目標にしながらであるが。師匠の言う通り、既成の概念(正攻法)で作家になることは甚だ難しい。この前、3年ぶりに短篇の小説を書いた。一応、コンクールに出したのだが、5年間師匠から教わったことが生きた作品のようで、稚拙であるが、5年間勉強したことは無駄では無いのだなと実感した。師匠への感謝と同時に、その小説で僕は新しい景色を見た。
昔話
大学入学と同時に脚本学校(以下:スクール)に入った。
それまでは小説家になりたくて、いくつかの小説を書いたが点でダメだった。当時の僕は単なる文学青年かぶれで、自分の物語を文章にするだけの人間に過ぎなった。しかし、スクールで授業を受けるようになってからは、『自分の物語を面白く描かねばならない』と口を酸っぱく教わった。とにかく、見てもらっている人、聞いてもらっている人に受け入れられなければ意味がない。そこで初めて、小説ではなく脚本(シナリオ)の方へ転向することを決めた。小説だとどうしても、内向的になってしまう。でもシナリオは描き方や構図などがおおよそ決まっていてやりやすい。それに小説より金になる。そこから僕は近所のレンタルDVDショップで映画やドラマを鑑賞しまくる日々が続いた。まだ見てない名作はあると思うがあらかたの作品は見たんではないだろうか。高校時代に読書狂(純文学)だったのに似ている気がする。
カリキュラムは半年で講義は月8回(週2)ほど。50回ぐらい授業があったと思う。中には有名な脚本家さんが来てくれるときもあって、当時は18歳だったこともあってか「頑張れ若者!」みたいによく励ましていただいた。そんな応援もあり、僕はスクールの授業を無事修了。全講義の1/3は出席しないと修了証をもらえないので、最初は埋まっていた講義室も最後の修了式には半分以下になっていた。
修了生はそれからどうなるかというと、任意で自分のジャンルにあったゼミに入って再びシナリオの勉強へと移る。そこで僕は師匠と出会った(というより曜日の関係で師匠のゼミに入っただけなんだけど)。師匠のゼミは実戦よりも基礎を重視するタイプのところで、基本的にノンジャンルでシナリオを研究する部門。創作と批評が授業の柱だった。
僕がゼミに入ったときはまだ未成年で、最年少受講生だった。分からないこともたくさんあったから、ひどいプロットを提出した日にはさらし者にされて、よく教材にされた。ゼミの人たちもよく喋るもんだから、授業から脱線することも多かった。でも、僕はそんな騒々しく議論の絶えない居場所が好きだった。
しかし時が経つにつれ、ゼミにも新しい人が入ってくる。逆に家庭や仕事の都合で辞める人もいる。当然、雰囲気も徐々に変わっていく。それでも僕が最年少受講生であることには変わりなくて、年上の後輩みたいな人たちが毎年増えていくのだ。別にそのことについては、まったく気にしていないし、むしろ大歓迎。だが問題だったのは、僕が書いているシナリオの性質とゼミの性質が歪み始めてきたということだった。
僕はよくコメディを書く。それがどんな形であれ、クスッと笑えるものにする。それが信条だった。ショートシナリオの課題が出たので、みんなが絶対に書かないであろう『特撮もの』を書いてみた。僕自身初めて書いてみたが、意外と気に入っている(今でも)。しかし、評判は当然芳しいものではなかった。シナリオとしての批評なら当然受け止めるが、「なんで特撮なの?」みたいな、あたかも特撮作品とテレビドラマを比較するような意見が多かったため、そこで自分の中の理想みたいなものが一気に崩れ去った。「ああ、ここじゃないんだな」と。すでにゼミは気付かぬうちに現実的ドラマ作品を良いとする風潮になっていた。テレビ局が好きそうな作品ばかりでつまらないとさえ感じた(それでもちゃんと批評はするよ)。
そういった作品につまらなさを感じていた僕は一貫してコメディ作品を書き続けていたが、ずっと指導してくれた師匠が根を上げてしまったので、さすがに限界を感じた。師匠はゼミに入ったときからずっと僕を見てくれた。おそらく誰よりも長所と短所、作風を知っている。だから、素直に様々なことを話してくれたのだと思う。師匠にはいつかご恩返しをしたいものだ。
もう秋になった。そろそろ何かしらの区切りをつける頃なのかもしれない。
でも、諦めるとは言ってない。
なんとかして形にしてみたい。
創造の始まりは無。そこからあがいてようやく何かが見えてくる。
18歳の自分がそうだったように。