ミクロよりマクロ的展開を
一応、アニメデレマスが完結?したということで
ふと、思いついたことを話そうかと
作品が作品なだけに賛否両論あると思うし、ネタバレを含むので、論者的な話を嫌う人はブラウザバックでお願いします
僕はアーケード時代からのアイマス派なので、正直言うとデレマスのことは良く知らない(ていうか765プロと876プロ以外殆ど知らない)。
そういう意味で、今回のデレマスは346プロのアイドル達を知ることができたいいきっかけになった。
しかし見ていて、あることにも気付かせてくれる作品でもあったと思う。
構成(展開)の重要性である。
1期目はわりと普通だったのに、2期目で一気に失速したのはなぜだろうか。
制作的な事情もあると思うのだが、前にも言及した「まれ」と同じように
1話1話は面白みがあるのだが、全体を通してみると
「これは誰が、何をして、どんな目的を果たす物語なのか」
という全体的な、最終的な命題を見失っている印象が残る。
結局「これは誰の物語だったのだろう?」と考えたとき
「シンデレラガールズと呼ばれる少女たちの物語」という答えから逆算すると
やはり焦点を絞る必要性を感じる。その場合、徹底して無駄を省かなくてはいけない。
なのに、2期目から美城常務(漢字あってるよね?)なる上役が登場する。
彼女に何かしらの役割が備わっているのなら、話は別だが、何人もいる人物を描ききることを考えたら、人物を増やすことはマクロ的(大局的)な展開においてはかなり無理が生じる。「彼女は一体なんだったのか」と思わせてはいけないのである。
僕もあまり人様のことをいえないのだが、連続物を書いていると、1話1話に集中してマクロ的な視点を見失うことがよくある。ライターが何人もついていると殊更である。
結果的に個別(ミクロ)に面白いドラマやアニメが全体を通して面白かったかというと、わりとそうでもない。大体そういう作品は○○の何話が神回とかそんな評価で終わってしまうケースが多い。
最近の連続物はマクロ的な視点を見失っている作品が多くなっている気がする。
1話完結型なら問題ないが、伏線を張る時はもう少し丁寧にやれんのかと思うときがある。(打ち合わせで突っ込まれると恥かしいんだよな、コレ)
ミクロなシーンや話があって、マクロな物語が存在するのは自明の理であるが、書くときはもう少しマクロな視点(大局観)を持って作業に臨みたいものである
ちなみに僕は卯月ちゃんが好きです(知らんがな