恐ろしきは無知ではなく知識の偏りである
今回は愚痴っぽい話でも一つ
少し前、シナリオの先生(師匠は違う方)からのメールの一文に
「お気に入りの作品を『天』『地』『人』で選んでみてください」
というのがあった。
皆さんはこの文章の意味がお分かりであろうか?
分かったあなたは常識人。すごい!
?と思ったあなたは今すぐ辞書を開こう!
という訳で、僕は後者だったので辞書をひらいた
すると「天地人」には物事の順序や順位という意味があるそうで、そこで初めて僕は
天地人に順位があると知ったのである。しかし、分からなかったのは1~3位なのかということで、これも後で調べたところ常識的に【天>地>人】ということだそうです。
自分自身、そこまで無学というわけではないので「天地人」という言葉は当然存じ上げているが、その言葉について「順位をつける」という概念が頭の中に無いのである。
僕にとっては天も地も人も欠くことのできない重要な要素であって、どれも1位。ちなみに麻雀の天和、地和、人和も全て役満、同じ点数だ。つまり「天地人」という言葉を使って、物事の優劣を決めるというのは愚劣だと最初は思ってしまったのである。
しかしそれは、兵家(兵法家)の考え方であって、古典的な兵法書や用兵書ばかり読んでいた自分は、そういった兵家思想に偏っていた。そのため現代の常識的な考えを理解することができず(正直今でも理解できてないと思う)、対応することができなかった。
このとき自分は初めて、真に恐ろしいのは無学ではなく知識の偏りなのだと悟った。
常識に疑いを持つのは大いに結構であるが、自分の思想を相手にぶつけたとしてそれが通用するわけが無い。いわゆる常識も現代にはびこる思想の一つなのであり、思想に優劣は無いのであるから、常識に対して愚劣であるとか、悪い意味でおかしいなどと思うのは傲慢であろう。
また常識人と呼ばれる多数派思想の持ち主も同じである。多数派が傲慢を持ったとき、それは悪い先入観を作る原因となる。だからこそ、リベラルな世の中を多数派が容認しなければいけないのだ。
僕個人としては、今の日本人に足りてないのは儒家思想だと思っている。
東洋思想なのだから、中国とかで現代風に体系化していないのだろうか?
あっ、でもそんなことしたら向こうじゃ逮捕されちまうか。実に残念。
兵家の僕の言えることじゃないが
今日も日本は平和です