心の墓場

ここは言葉の掃き溜め、墓地のような場所。                      愚痴が中心ですので苦手な方はお笑いでも見ててください。

陛下の生前退位(譲位)ついて考えてみた

衝撃である。

帝が御身心を国民に伝えることは何度かあったが、なにより驚いたのはその内容である。「お気持ち」というレベルを超えて「お怒り」のように思えた。

しかし現行の天皇陛下及びそのご皇室は憲法と皇室法である皇室典範によって地位と行動が規定されているので、陛下のご意向にすぐさま対応することが出来ない仕組みになっている。しかも皇室は行政府と乖離しながらも政治影響力を持っているため、この『生前退位』問題というのは皇室全体の問題でもあるのだ。

 

とりあえず今回は、譲位(今上帝が存命中の内に皇太子に皇位を譲ること)について焦点を絞ってみる。

天皇制の歴史の中で、譲位というのは珍しい事ではなく日本史の授業でもやったように譲位した天皇――太上天皇上皇)が権勢を握った『平安院政期』が代表的なものといえるだろう。

しかし、明治になって帝国憲法が発布されると天皇や皇族の地位と権能は明確に規定され、二次大戦敗戦後に作られた日本国憲法でも国民を主権としながら天皇の地位は「日本国統合の象徴」として一定の機能を果たしている。しかしそういった、エセ立憲君主制度が今回の「お気持ち」につながったのだろうと自分は考えている。(敗戦国なのに天皇制を存続させてもらったので文句は言えないが)

現在今上帝は80を超え、なお公務をこなすスーパー爺さん(不敬)なのだが、天皇だって不死身じゃないし、体力も衰える。存命中に譲位というのはさすがに現実味がない。恐らく陛下は《公務不履行》の最終手段として『譲位』を示唆したのだと思うし、出来ればその前例まで残したいのだろう。幸い皇太子殿下は元気なので。しかし、その道のりは国民が許しても法律が中々許してくれない。

今上帝が譲位について突破すべき最大の問題は法律である。

1つは憲法上の問題。2つは皇室典範(皇室法)の改正である。

他にも色々あるが、一番正当な手続きとしてはまず日本国憲法第一章「天皇」を改正することである。憲法を改正しておけばそれに連なる皇室典範の改正もスムーズに行うことが出来るが、草案を国会で審議し、それを承認し、国民投票まで行わなくてはいけない。正当だがあまりにも時間がかかりすぎるのだ。

しかし、立法には特例法というのがあり、それによって皇室典範を改正するという手もある。憲法に規定された「天皇」条項は解釈問題とし、実際に皇室全体を規定している皇室典範を改正し譲位を可能にするというのが現実的ではないかと考えている。実際どうなるかは不透明だが。

 

今回の今上帝の「お気持ち」は譲位のことだけではなく、これからの皇室・天皇の在り方。そして国民へのご配慮が感じられた。藤原家の血脈を汲む者としては、天皇制はこれからも時代を変えながらも続いてほしいと思っている。今は小市民だが、心の中では帝の一臣下として、帝の体調と国体を案じている。