心の墓場

ここは言葉の掃き溜め、墓地のような場所。                      愚痴が中心ですので苦手な方はお笑いでも見ててください。

君を知ること

4月に入って、桜が美しい季節になった

つーても中旬になってしまったので、近くの公園の桜は散り散りになっているが……それでも風に舞う花びらは美しいものである。

この前も親戚の叔母さんがやってきて、小さなはとこを連れてやって来てくれた。「もう脚本とかって書かないの?」叔母さんが話すと「書くとしたら気まぐれですね」と冷たく答えてしまった。スクールを辞めてから、その気になったら書く程度の気持ちでずっといたから、自然と言葉に出てしまった。その後の叔母さんのしょんぼりした表情を見て、悪い事をしたなぁと思った。皮肉にも書くことをセーブすることで体調がよくなってる節がある。何もせず、好きなことだけして過ごす。怠惰な日々を送ることで健康を維持している。

書くことは嫌いではないが幾分疲れる。5年間の修行でそれなりのノウハウを掴めたものの、モチベーションが無い。

我が家は芸術家の血筋で、文章を書く人が僕以外殆どいない。いるとしたら、夭折した僕の大叔父が小説家の卵で有望だったそうな。親類は若くして亡くなった大叔父の血を引いているとよく騒ぐ。そんな大層なもん書いてるわけじゃないんですけどね……(文才もないだろうし)

でも、最近思うのは自分は文章ぐらいでしか身を立てられないということ。それは自分に自信があるからとかじゃなくて、病気のことだったり、スキルだったり――そういう社会で生きていくためには文章を書くことぐらいしか自分には出来ないのではと。趣味でもいいから、書くことが人生に直結するのではないかと思い始めている。

4月になるといつもこんな感じになる。学生や社会人たちが羨ましい。ああやって普通に勉強して、働いて、結婚して、家庭を持って……敷かれたレールでもいいから僕は普通の人間になりたかったなぁ。

ホント、どうして生まれてきたんだろう。