心の墓場

ここは言葉の掃き溜め、墓地のような場所。                      愚痴が中心ですので苦手な方はお笑いでも見ててください。

駆け抜けた30年

5月1日から改元となり「平成」から「令和」へと新しい時代が始まります。

僕は平成という時代に出会いや青春がぎっしり詰まってたりして、人生の中でかなり濃密な30年だったなぁと振り返ってしまいます。

双極性障害になったり苦労はありますが、友人には恵まれたし、色々な経験をさせて頂きました。

そしてたくさんの事件や災害がありまして、今でもその爪痕が土地に、心に残っています。復興は進んでも、心の傷が癒えることは難しい。だからこそ、その惨禍を「平成遺産」として後の時代に語り継いでいくことが、平成を生きた世代の使命なのかなぁと改めて感じます。

自然に抗うのではなく、自然に備える。これが大切ですね。

 

そしてもう一つ、平成はサブカルチャーが日本を動かした時代だと思うんですよね。

「オタク」という言葉が市民権を得て、一般化した。これは僕から見てほんとすごいことだと思っていて。世の中変わったなぁと明らかに思った瞬間なんですよ。

昔は「マニア」という言葉使われていたのが、オタクになっていき、ネットの普及と共にオタクの文脈が世界へと解放された。日本のアニメやゲームが世界中に伝達されていき、いわゆる「クールジャパン」の一角を占める様になったのは日本のサブカルチャーの大きな転換点だなぁと。

昔はオタクといえば、世間的にあまり良い印象が無く、いわゆるアニオタだった僕は小学生のときそれが原因で苛められた。以降オタクであることを隠すようになったし、今でも表立ってアニメやオタクっぽい話はしないようにしている。

その一方で「電車男」という作品が有名になると、手のひらを反す様に社会は徐々にオタクという存在を容認し始めて、ネットを使うのが当たり前になった2010年ごろにはオタクである事がむしろステータスになった。でもそれは異教徒に対しての価値観が変わり、寛容になっただけに過ぎないのであって、根の部分は変わっていないと思っている。「キモオタ」という言葉が示す通り、例えオタクに対して優しい社会になったとしても、常識を弁えなければ苛烈な仕打ちが待っているのを忘れてはいけない。

平成から令和へ。新時代のオタクたちは「飽和した世界」にいるような気がする。平成に入ってアニメやゲーム、その他コンテンツの数が爆発的に増えた。選択肢が増えたと言い換えてもいい。「覇権アニメ」なんて言葉が出てくるように、多くのコンテンツの中で競争が始まっているのだ。緩やかな競争は以前から存在していたものの、ここまで明確な競争心というのはここ最近ではなかろうか。もしかしたら、アニメは愛されるものから、ただの消費されるものに変化しているのかもしれない。そう思うと、平成期に躍進したアニメ産業の反動が令和の時代にやってくることは大いに考えられる。これは作り手としても大きな課題となっていくだろう。

 

 

今回が平成最後の記事となります。

ていうか、最後の記事がオタクの話でいいんだろうか……(;´・ω・)

令和時代となっても更新は続けていきますので、新時代も何卒よろしくおねがいします。