心の墓場

ここは言葉の掃き溜め、墓地のような場所。                      愚痴が中心ですので苦手な方はお笑いでも見ててください。

主治医が変わった話

色々あって主治医が変わることになった。これで自分の主治医は3人目。医者遍歴も中々板についてきたという感じがする。せっかくなので、ここまでの遍歴を少し話してみようと思う。

一人目・最初の主治医はベテランの先生でとても接しやすかったし、治療についても患者の人生(クオリティ・オブ・ライフ)を優先して考えてくれる理想的な医師だった。個人的にはずっとその先生が良かったのだが、大学病院という巨大組織では中々そういう訳にはいかないらしい。その先生は4年で通院している大学病院を辞めて他県の民間病院に移ることになった。最初は出向人事かと思ったが、本人が「出向じゃないよ」と話していたので、待遇の問題だと思われる。きっと向こうの病院で然るべき地位と給金が約束されたのだろう。個人的には尊敬に値する医師だったので、実力と釣り合う居場所が見つかって良かったと思う。その先生に診てもらえないと考えると複雑な心境にはなるのだが。

それから数年経って、気になって調べてみたらなんとびっくり。某医療法人の理事になっていた。ついでに産業医の資格も取っていた。この数年で何があったのだろうか……

 

問題は引き継いで主治医になった2人目の医師。何というか、ようやく外来を任せてもらった先生という感じで患者の自分から見ても「未熟」という言葉が目立つ人物であった。医者としては優秀なのかもしれないが、人間としては二流なのである。彼はまだ若かったから、その頃の自分は我慢して目を瞑っていた。しかし、時が経つにつれ増長しているように感じ、そこで自分は「こいつはダメだ」と主治医を変える決断をした。

自分は大学で哲学を専攻していたのだが、概論と生命倫理を担当していた水野先生は現役の医師という異色の経歴を持つ哲学者であった。水野先生は講義で「医療の現場、特に医師にこそ哲学が必要だ」という持論があって、昨今の医師に最も足りないものは「倫理観」で、倫理の無い医療ほど恐ろしいものは無い。と強く訴えていた。

2人目の若い先生は最低限の倫理を持ち合わせていたと思われるが、人を不快にさせる「何か」があって、俗にいう人間力が乏しい人物だったのである。医者は問診を通して、患者がどんなことで苦しんでいるかを判断しなければならない。そこで重要になってくるのが一般的な倫理観であって、患者の気持ちを汲み取るという人間力が医者の実力を左右する。水野先生はそういうことが言いたかったのではなかろうか。「一流の医者は人間としても一流でなくてはならない」ということだ。

 

次担当になる3人目の主治医は、ベテランの医師だった。この前、少し話したが、やはり接しやすく病状を話しやすい。コミュニケーションが取りやすいというのは人間力の成せる業である。これからどうなるかわからないが、前の先生よりはやりやすいので、治療に希望を持てそうではある。