心の墓場

ここは言葉の掃き溜め、墓地のような場所。                      愚痴が中心ですので苦手な方はお笑いでも見ててください。

常に少数派

※注意!

この記事にはわりとセンシティブな内容(差別的な表現、ジェンダーについてなど)が含まれています。そこら辺のことを了解して読んで頂けると幸いです。

 

上記のことを了解した方は「寛容な心」を持って傍線より下をご拝読ください。(そうじゃない人はYouTubeでも見ててください)

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物心ついたときから、多くのものを左手で掴んでいた。いわゆる「左利き」というやつだ。

左利きの人は世界人口のおおよそ1割ほどしかいない。日本人だけでも1割は存在し、世界的に見れば6億の人が、日本だけだと1千万人の人が左利きということになる。

実に高慢な言い方だが、つまり僕は生まれながらにして少数派の人間ということになる(だからといって優生というわけではない)。しかも僕が知る限りの身内に左利きはいないので、かなり後天的な要素で左利きになった可能性が高い。もし、利き腕の決定に遺伝的要素が深く関わっているのだとすれば、僕の代で何らかの突然変異が起こったと考えられる。

後に僕は双極性障害躁うつ病)という病気になるのだが、これも遺伝的要素が強いとされている。祖父が躁鬱だったと家族から聞いているので、病気に関しては祖父の遺伝子を受け継いだ形になる(隔世遺伝)。

そんなこともあってか僕は幼い頃から周囲や身内に「珍しい子」、「祖父の再来」など色々言われてきた。別に嫌ではなかったが、小学生のころあたりから自分と周囲(社会)との間に温度差というか壁みたいなものがあることに薄々気付いていた。

 

中学生――いわゆる「思春期」といわれる時期に入るとそれはさらに強くなった。思春期に入ると男女ともに第二次性徴というものが起きて、自らの「性」について強く意識するようになる。僕は比較的性徴が遅れ気味だったようで、本格的な声変わりも高校生に入ってから。それでも声は高い方だったので合唱のときに女声パート(アルト)で歌った方が楽だったりと、傍からは「中性的な人間」に見えたと思う。今、いい大人になってようやく男声のトーンになったので低い声が出せる反面、もうハイトーンで歌おうとすると声が裏返ってしまう(もしくはファルセットを使わなくてはいけない)。結果的に声域は広くなっているものの、自分が「男性化」するということに対して抵抗感を持っているのは何故だろうか。正直今でもその答えは見つかっていない。

 

しかし分かっていることがあるとすれば、僕が自分自身の「性」に対して未知の部分があるということだ。むしろ知ることに対して恐怖を抱いているのかもしれない。

結論から言うと僕はバイセクシャルだ。

両性愛ともいうが、要するにに相手が男であっても女でも性的魅力を感じるということだ。よく雑食の様に思われるが、僕にも好きなタイプの女性・男性というのがあって相手はちゃんと選んでいる。どんなにストライクゾーンが広くても狙い打つ玉は決まっているもので、みんなそうだと思う。

 

最近では日本語教室とかで外国人学習者と触れ合うことも多くなったから、彼らの悩み事だったりを聞くことも増えた。在住外国人は社会的少数派で、その中には社会的弱者もふくまれている。そういった人達に寄り添うのが、自分の仕事だと思っているのだが、そのためには常に少数派に属さねばならないと思った。

これも高慢な言い方だが、生まれてからずっと少数派の人間だったので、多数派の大衆的な人間になってみたいものだ。