心の墓場

ここは言葉の掃き溜め、墓地のような場所。                      愚痴が中心ですので苦手な方はお笑いでも見ててください。

マイペース大王

GW前ぐらいだろうか、人生で初めて声優イベントなるものに参加した。

偶然買った雑誌にイベントの参加応募券が付いていたので、送ったら運良く当選。せっかくなので行ってみようと、未知の領域に飛び込んでみたわけだ。

しかし広場恐怖症の僕にとってイベントのような人が集まりやすい場所や環境はパニック発作を起こしやすいので、病気になってから避けている。どうしてもというときには発作止めのトランキライザーを飲むしかない。今回のイベントも多く薬を飲んで予期不安を和らげている。

今回はイベントというよりも、その声優さんのトークショーで、100人程度の規模だったので助かった。楽しむ余裕が出来たという意味で。そこで思ったのはヲタクって変わったなぁということ。

僕はいわゆるオールドタイプのヲタクであると自負しているのだが、僕より若い世代の人たちは「新人類」といえばいいのか、雰囲気が全く違う。ヲタクであることを楽しみ、前面に押し出している(あるいは開き直っている)感じが凄い。僕みたいに「ヲタクは日陰者」というイメージを持っていないのだろう。

今ではヲタクもサブカルチャーの主流として市民権を得たが、それも最近の話。子どもの頃から鉄道・アニメ・漫画・ゲームが好きな僕は電車男という作品が話題になるまで(趣味に関して)肩身の狭い思いをしてきた。その当時はヲタク趣味といえば半ば犯罪者予備軍みたいな扱いでネガティブな印象が強かった。「私はヲタクです」なんで公言できる世間体ではなかったと思う。

しかし、ゼロ年代に入ってアングラだったインターネットが普及し始め、電車男という作品が世間一般の認識を塗り替えた。僕はここがヲタク文化の大転換点だと思っている。しかし僕の周り(当時)はヲタクに対する風当たりがまだ厳しくて、そういう趣味はひっそりと楽しむというスタンスが身に付いてしまった。そんな時にであったのが「げんしけん」という作品だった。

げんしけんは僕にヲタクである勇気をくれた作品だった。日陰者であることを自認しながらも、それを曲げずに青春を謳歌する物語に憧れた。自分もああなりたい。大学生になったらモデルになった筑波大学げんしけんに入るんだ!(アニメでは中央大学)と思った矢先、僕は双極性障害になった。親のせいで重度の広場恐怖にもなった。おかげでリチウムを生涯飲む日々。今ではそれなりの大学に在籍し、マイペースに過ごしている。

病気にさえならなければ、ヲタクであることを謳歌していたのだろうか。そう思うと後悔は尽きない。なかなか積極的になれないというのが、心苦しい。今はただマイペースに、その瞬間を楽しむ事しかできない。生きることを止めるまでは。