心の墓場

ここは言葉の掃き溜め、墓地のような場所。                      愚痴が中心ですので苦手な方はお笑いでも見ててください。

凶でした

1月も末ですけど、初詣に行ってきました。

これより前に一応、家族一同で行ったんだけど、お参りしただけって感じだったので、近くの浅草寺に行ってきました。

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当然ながら時期的に人も空いてて、今年はお賽銭をちゃんと入れることができました。

そして欠かせないのが「おみくじ」。これを引かんことには1年の始まりという感じが致しません!!(もう2月だけど)

さぁ、今年の吉凶は……

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デデドン!

……裏の訓戒だけ見て、そっと結んでおきました。

ちなみに浅草寺は「凶」が多い事でも有名です。

積まれたガンプラを早く作れってことですね(違う

 

まぁ結んできたから大丈夫だろう。転んでも立ち上がればいいのさ。

 

 

 

重要なのは「きっかけ」ではなく「動機」

2017年、皆さま明けましておめでとうございます。

成人の日も過ぎて、街の景色もすっかり日常に戻ってきました。

 

さて、新年最初の話題にしたいのは「恋愛」について。

といっても実際の恋愛話、恋愛論について語るわけではありません。

物語を作る上での「恋愛要素」です。

 

この前、ゼミの友人が「恋愛物は作るのが難しい」と難儀しているのを見て、ふと気が付いたんですね。重要なのは「動機」であると。

恋愛劇(ラブストーリー)って結構ピーキーな分野で、恋愛を主軸にするシナリオを書く人はすげぇと常々思うわけです(ギャルゲーのライターさんとか)。恋愛経験が作品の良し悪しに直結する訳でもないし。

ある人はセンスだと言うけど、僕はそうは思わない。きちんと順序立てれば、恋愛劇は妄想であっても成立すると思うのです。ただしこれは創作でのお話ね(笑

 

僕が影響を受けた恋愛劇(あるいはラブコメ作品)はたくさんありますが、それらに共通する項目として

・相手との出会いがあること(ファーストシーン)

・恋への動機が必ずあること(好きになった理由)

・動機への葛藤(理由を考えさせる)

この3つが恋愛劇における必須ともいえる要素だと分析しています。

最低でもドラマにしなくてはいけないので、「恋愛」を通じて主人公(ヒロイン)がどう変化していくか。という点に尽きると思います。実体験については説得力を持たせるための肉付け程度でいいじゃないかと。でもまぁ書くなら、多少の恋愛経験はあった方がいいと思いますやっぱり(爆

 

 

最期にどうでもいいですが、アマガミから9年後の世界を描いた「セイレン」が放送開始となりました。七咲の弟(郁夫)も立派なイケメンとして主人公の親友ポジ?として帰ってきました。セイレンはよく分かりませんが、アマガミはゲームもアニメもよくできているので、恋愛シーンが書けないとかで困っている方はプレイ・観賞するのも一興かと思います。

アマガミ 公式サイト


 

クライマックス!

今日は12/31。世間では大晦日、2016年最後の日。そしてコミケの3日目です。以前の私でしたら国際展示場の長い列にいたと思いますが、広場恐怖になってしまったのでそれも叶いません。病気になって6年目になりますが、適切な治療を受けさせてくれなかった親を憎むばかりです。

 

 

そんな後ろ向きな前置きはポイーで。

簡単に今年の総括です。

 

上半期(1~6月)

・ゼミ脱退

・同人誌の新刊発行

 

下半期(7月~12月)

・特に理由もなくピアノを習い始める(継続中)

・小説解禁

・獣奏剣再販決定(もちろん予約)


そんぐらいです。意外に少ないな……

一番大きかったのは、ピアノと小説かなぁ。2号目となる同人誌も好評で、刷った分全部捌けたのは自分でも驚きです。また来年も新刊を出す予定でいるので宜しくお願い致します。

 

小説の〆切が近いので中身スカスカですが終わりたいと思います。

皆さまよいお年を

 

 

新しい景色

フリーな立場になって、3か月ぐらいになっただろうか。

僕がゼミを離脱したぐらいに、親交のある同期のFさんも抜けたみたいで違う方向性で活動していくとのことだ(正確には持ち込み)。僕自身、コンクールってやつを信用してなくて、作品の完成度を測る指針として活用してきた。しかし、そのゼミを抜けた方はコンクールの受賞歴もあるし、最終選考の常連。そんな実力者でもお仕事を貰うことはできていないようで、業を煮やしたのか原稿(プロット・企画)をコンクールではなく制作会社などに持ち込む方向にしたそうだ。とある有名な脚本家さんとお話していた時、「脚本家になる一番の近道は制作会社に入るか、直接売り込むかのどっちか。あとはコネだね」とド直球に言われてしまった。それ以来、僕はコンクールというものを信用していない。受賞してもそれがお仕事に直結する訳ではないし、脚本家の大半はコネであるという現実があるからだ。個人的には名前を覚えてもらえれば幸い程度の気持ちがちょうどいいと思う。

 

フリーになって活動に含みができたので、僕もFさんのように制作会社や出版社に積極的に売り込みたいと考えている。もちろんコンクールなどを定期的な目標にしながらであるが。師匠の言う通り、既成の概念(正攻法)で作家になることは甚だ難しい。この前、3年ぶりに短篇の小説を書いた。一応、コンクールに出したのだが、5年間師匠から教わったことが生きた作品のようで、稚拙であるが、5年間勉強したことは無駄では無いのだなと実感した。師匠への感謝と同時に、その小説で僕は新しい景色を見た。

 

 

 

昔話

大学入学と同時に脚本学校(以下:スクール)に入った。

それまでは小説家になりたくて、いくつかの小説を書いたが点でダメだった。当時の僕は単なる文学青年かぶれで、自分の物語を文章にするだけの人間に過ぎなった。しかし、スクールで授業を受けるようになってからは、『自分の物語を面白く描かねばならない』と口を酸っぱく教わった。とにかく、見てもらっている人、聞いてもらっている人に受け入れられなければ意味がない。そこで初めて、小説ではなく脚本(シナリオ)の方へ転向することを決めた。小説だとどうしても、内向的になってしまう。でもシナリオは描き方や構図などがおおよそ決まっていてやりやすい。それに小説より金になる。そこから僕は近所のレンタルDVDショップで映画やドラマを鑑賞しまくる日々が続いた。まだ見てない名作はあると思うがあらかたの作品は見たんではないだろうか。高校時代に読書狂(純文学)だったのに似ている気がする。

カリキュラムは半年で講義は月8回(週2)ほど。50回ぐらい授業があったと思う。中には有名な脚本家さんが来てくれるときもあって、当時は18歳だったこともあってか「頑張れ若者!」みたいによく励ましていただいた。そんな応援もあり、僕はスクールの授業を無事修了。全講義の1/3は出席しないと修了証をもらえないので、最初は埋まっていた講義室も最後の修了式には半分以下になっていた。

修了生はそれからどうなるかというと、任意で自分のジャンルにあったゼミに入って再びシナリオの勉強へと移る。そこで僕は師匠と出会った(というより曜日の関係で師匠のゼミに入っただけなんだけど)。師匠のゼミは実戦よりも基礎を重視するタイプのところで、基本的にノンジャンルでシナリオを研究する部門。創作と批評が授業の柱だった。

僕がゼミに入ったときはまだ未成年で、最年少受講生だった。分からないこともたくさんあったから、ひどいプロットを提出した日にはさらし者にされて、よく教材にされた。ゼミの人たちもよく喋るもんだから、授業から脱線することも多かった。でも、僕はそんな騒々しく議論の絶えない居場所が好きだった。

しかし時が経つにつれ、ゼミにも新しい人が入ってくる。逆に家庭や仕事の都合で辞める人もいる。当然、雰囲気も徐々に変わっていく。それでも僕が最年少受講生であることには変わりなくて、年上の後輩みたいな人たちが毎年増えていくのだ。別にそのことについては、まったく気にしていないし、むしろ大歓迎。だが問題だったのは、僕が書いているシナリオの性質とゼミの性質が歪み始めてきたということだった。

僕はよくコメディを書く。それがどんな形であれ、クスッと笑えるものにする。それが信条だった。ショートシナリオの課題が出たので、みんなが絶対に書かないであろう『特撮もの』を書いてみた。僕自身初めて書いてみたが、意外と気に入っている(今でも)。しかし、評判は当然芳しいものではなかった。シナリオとしての批評なら当然受け止めるが、「なんで特撮なの?」みたいな、あたかも特撮作品とテレビドラマを比較するような意見が多かったため、そこで自分の中の理想みたいなものが一気に崩れ去った。「ああ、ここじゃないんだな」と。すでにゼミは気付かぬうちに現実的ドラマ作品を良いとする風潮になっていた。テレビ局が好きそうな作品ばかりでつまらないとさえ感じた(それでもちゃんと批評はするよ)。

そういった作品につまらなさを感じていた僕は一貫してコメディ作品を書き続けていたが、ずっと指導してくれた師匠が根を上げてしまったので、さすがに限界を感じた。師匠はゼミに入ったときからずっと僕を見てくれた。おそらく誰よりも長所と短所、作風を知っている。だから、素直に様々なことを話してくれたのだと思う。師匠にはいつかご恩返しをしたいものだ。

 

もう秋になった。そろそろ何かしらの区切りをつける頃なのかもしれない。

でも、諦めるとは言ってない。

なんとかして形にしてみたい。

創造の始まりは無。そこからあがいてようやく何かが見えてくる。

18歳の自分がそうだったように。

 

シン・ゴジラ

彼岸なので、家族でお墓参りに。

その後、なぜか恒例行事と化している鰻を食し(墓前で手を合わせる=鰻を食う)、伯父さんと話題のシン・ゴジラを観にいきました!

師匠からもメールで「シン・ゴジラ面白かったよ。まんまエヴァだったけど」と来ていたので、いい機会だなぁと思い一家男たちで鑑賞。

耳に伝わる前評判がよかっただけに、どんなゴジラに(とういうよりも怪獣映画に)仕上がっているのかなぁと気になってなっていたんですよねぇ。庵野秀明×樋口真嗣のコンビですから「ゴジラ」というキーワードをどう解釈した作品なのかと。

そんでもって蓋を開けてみると……想像以上にエヴァでした。

師匠の言う通り、確かに面白いんですけど物語の構図が新劇エヴァ序と同じなんですよね。対ゴジラ班による作戦会議なんてまさにヤシマ作戦。同じBGM流れてたし(音楽はエヴァと同じ鷺巣詩郎さんです)。ファンサービスなのか、開き直っているのかは分かりませんが、マジでこのノリで作っているとすると庵野さんはもうエヴァンゲリオンみたいな話しか作れない人なのかなぁと思ってしまうわけです。エヴァが放送されてもう結構経ちますが、未だに日本のアニメや漫画(今回のシン・ゴジラも含めて)は新世紀エヴァンゲリオンという作品を超えられない、その向こう側へ到達できてないのだなと痛感させられました。「ゴジラ」を観にいったら中身は「エヴァ」だったわけですから(笑)

ただ、何も考えないで単純な娯楽映画、怪獣特撮映画としてはとても楽しめる作品だと思います。ゴジラなんだからもっとハチャメチャでもいいかなぁとも思いましたが(笑)

 

 

しかしながら個人的に思う所があって、それは『上層の出来事でしか話が展開しないこと』です。ざっくりいうと、ゴジラによって被害に遭った人たちに目線が殆ど行ってないんですよね。ゴジラの足元では凄まじい人たちが被害を被って苦しみの淵に立っているはずなんです。実際、シン・ゴジラでは人が死ぬシーンが殆どありません(匂わす描写はいくつか)。なぜなら物語そのものが役人対ゴジラという上層での対立構図になっているからです。たしかに、政府の官僚や自衛隊ゴジラをなんとかしなければなりませんが、同時に苦しむ国民を救助しなければいけません。核や放射線という前に、下層(ゴジラの足元)にいる一般市民にとってはゴジラは恐怖でしかないはずです。そういったところにどうして目が向かないのかと疑問を感じるわけです。そこで僕は、シンゴジをやたら持ちあげる人や何回も観た!とかいう人は上層の出来事――上辺だけの物語に満足してしまっているんだなと思ってしまうんです。(凄い偏見と見下し)

確かにシン・ゴジラは面白いです。でも薄っぺらい。しかしそれでも評価する人がいる。大切なのは政府の動きが云々ではなくて、ゴジラがいる中での人々のドラマだと僕は思います。

 

 

テイルズ オブ ベルセリア

少し前にPS4を買ったという話から。

新作のテイルズを購入して、今しがたクリアしました。僕は結構寄り道しちゃう方なのでクリアまでに70時間くらいかかってしまいました。他の方(ネットなど)の情報を見ると平均50時間くらいでメインストーリーはクリア出来る分量になっているようです。(どんだけまったりプレイなんだ……)

最近のテイルズからは遠ざかっていたのですが、シリーズ初の単独女性主人公でCVはなんと佐藤利奈さん。――これは買うしかねぇ!ということでサトリナ大好き大万歳な状態で久々にテイルズをプレイ(たぶんグレイセス以来)。したらね、意外にこれが楽しいのよ。新しい?戦闘システムがけっこう爽快でゲーム初心者でも楽しめる親切設計。でも物語(ストーリー)が結構重いので、テイルズシリーズとしてはあまり人に勧め辛い作品になってしまっていることが個人的に一番の弱点かなぁと感じました。ただゲームシステム(特に戦闘)は奥深く進化しているので、プレイして損のない作品だと思います。

 

 

た だ し 、まぁこれは職業病?みたいなもんなんで気にしなくてもいいと思うんですけど、いかんせんプレイしていてシナリオの展開が気になってしまうんですよね。僕はゲームシナリオは専門ではないのであまり強いことは言えないんだけど、まずキャラクターの役割が不明瞭。システム(戦闘)においては役割分担はあるんでしょうけど、物語中においては仲間が主人公にどのような影響を与えるのかをもう少し強調してもよかったかなと。

物語終盤になるとキャラたちのサブイベント(サブストーリー)ができるようになるのですが、むしろそれをメインストーリーに絡めるべきだろ!と思わずツッコんでしまいました。ベルベット(主人公)の話を追うだけでは寂しい気もするので仲間たちの人物背景が明らかになっていく進行の方が事件や物事に対して納得できる構成になるのかなぁと思いました。ただゲームシステムとの兼ね合いもありますので、単純なシナリオ論だけでは難しい課題でしょうね。

ただどう考えても、後日談で人物背景を明らかにするのは厳しいよね……

 

ゲームが一区切りついたので、原稿に勤しみます

誰かアイデアをくれ