心の墓場

ここは言葉の掃き溜め、墓地のような場所。                      愚痴が中心ですので苦手な方はお笑いでも見ててください。

新政府樹立(大嘘)

f:id:heart_graveyard:20151222173955j:plain

 

というわけで、今回の記事は上の新しいパソコンからお送りしております。

6年ほど使っていたのがとうとう壊れてしまったので、さすがに新調しました。まぁHDDの問題だったから、寿命ですな。旧パソコンも今まで頑張ってくれました。合掌。

でもこれで、変な心配せずに済むので、あと5年ぐらいは安心です(笑

 

あとは無事に年を越すだけですね。クリスマス? そんなもん知らんわ

今は今度出す同人誌の原稿とモンハン。同人誌は2月の頭ぐらいが予定らしいです。同人誌といっても皆さんの連想する薄いブックス!ではないですよ。文芸誌ですから。挿絵すらないから、たぶん。

 

というわけで年末もマイペースに生きてます。

年の最後に総集編をだせたら……と思ってます。

それでは皆さん善いクリスマスを

 

 

血は争えない

この前、祖父の三回忌がありまして、集まった親族の話を元に家系図を改めてみた

ところ、僕の大叔父が映画監督であることが判明。

しかも特撮黎明期の時代に特撮映画を主に撮っていたことが分かり、日本特撮の先駆者の一人として活躍していたそうです。

我が家は父が趣味で家系図を作っているのですが、たどっていくと、やはり映像関係や美術関係の職業に就いている人が多く、僕も脚本の勉強をしているのを考えると、やはり血筋なのかなぁと。ちなみに音楽関係に殆ど縁がなく、家系的にこれから音楽家になる人が出てくる可能性は低いと思われます(笑

父は商業デザイナー、祖父は映像美術、大叔父は映画監督でもう一人は画家。

才能あふれる一家なのに、僕は非才で絵も上手じゃないし音符も読めない。

自らの非力さに悔しさを憶える日もあるけれど、逆に自分の中にあるものを考えさせてくれる。

自分には何ができるのだろうか? そう考えながら日々を過ごしてます

その割にはゲームばっかやってますけど(笑

 

 

だいぶ話が変わりますが、先ほどの家系図の話から

12/6放送の大河ドラマ「花燃ゆ」のラストコーナーでひょっこり僕のご先祖様が登場してびっくり。主人公の文(劇中では美和子)と一緒に福祉団体である福田会の発起人の一人して紹介されていました。ちなみに僕の家系はたどると徳島の人にあたるのですが、どうやらその人が長州閥の人たちと仲がよろしかったそうで、地味に長州の血も受け継いでいるんですよね。そういったことを考えると、家系図ってさかのぼってみると意外と面白い(我が家はね

家系図のある方は一度自分の家について調べてみてはどうでしょうか。

もしかしたら歴史的に有名な人とつながりがあるかも!

 

師走の夜明け

師走とは12月――つまり年末を表す言葉で、何かと忙しい季節であるからこの字が

当てはめられている。

まぁそんなもん、人によりけりなんどけどねー

そんなわけで2015年も最後、12月になってしまいました。

なんだかあっとゆうま。去年のこの時期は入院してたから、今みたいな余裕はなくて、これからどうしようみたいな不安でいっぱいだったけど、今年は具合もある程度安定してて、ある程度小忙しくて、去年の体の不調は一体なんだったのかって感じ。

それでもやっぱり気分の乱高下があったりして、苦しいんだよね。いろいろと。

まぁそれでもせっせと生き抜いてます。不思議なぐらいです(笑

 

去年ほどの体の不調はないですが、現在ちょっとやっかいな状態になっておりまして。

夏場あたりから離人症を私こじらせてしまいまして軽度の解離性障害になってしまい、医者から「もしかしたら統合失調症になってるかもしれない」と病名のオンパレード。

気分障害統合失調症解離性障害はそれぞれ症状が似通っているので鑑別が難しいそうです。大変なのは、主体というのが不明瞭になっている状態で、自分の病状?をどう説明するかということ。感覚(実感)が希薄になっているために言葉に表し難いんですよね。でも不思議な感覚ですねこういうのって。ある意味貴重な体験をしてるのかもしれません。おかげでシナリオが書けないのがネックですが……

 

というわけで今はこんな感じです

よくなるといいんですけどねぇ

困った困った

 

 

大切なのは“質感”だと思うの

最近、ちょっとスランプ?気味になってしまって、少し休養を頂いてます

(それでも修正稿の確認とかあるんだけど)

スランプの正体が何なのかは、自分の中でも整理がついたら話そうかなと

少し複雑なんです、はい

 

どうでもいい近況ですが、祖母が膝の骨を折ってしまい入院&手術。

経過は良好ですが、リハビリ治療がこれからの主体になっていくそうです。

重なる形で私の祖父の法要なんかがあったりして、休養どころではないです(笑

でも不思議なことに、文章って書いてないと書き方忘れちゃうんだよね

だから時々シナリオ書くときも、あれ?今までどうやって書いてたっけ?

みたいな感じで過去の作品を思い返して書き始めるわけですよ!

シナリオは日常的に使う文章と違うので、一度忘れると思い出すまでが大変だったり

ドラマ⇒オーディオ⇒プロット/あらすじ⇒ドラマ

とかやってると大混乱ですわ(未だに慣れない)

 

今回はそんな文章から大分離れていた期間のリハビリとして、僕がシナリオを書く上で大切にしていることをお話しようかなと思います(誰得

ざっくり言えば脚本なんて台詞の羅列なんですよね。だから最悪台詞さえ書ければ問題ないと個人的には思っています。

ただし、僕は言葉――つまり台詞に「質感」を持たせるのが作家だと思っています。

言葉は二次元媒体ですから質感というのは持ち合わせていないんですよね。

だけど人間には想像力というものがあります。そして言葉は想像をかき立てる力を持っていて、そのとき言葉(台詞)は質感――リアリティを持つのです。

僕は物語の展開や構成よりも、そういった台詞の生々しさや人物・場面の整合性を重視しているのですが、なかなかそれが理解してもらえない。

分かってくれたのは師匠ぐらいなもので、師匠もそれを理解したうえで助言してくださるのですごく心の支えになっています。

スクリーンや画面に移る映像に触れることはできないが、あたかもそれを自分の感覚のように感じ取ることはできる。

理解されなくてもいい。だけど僕は「質感」のある作品を書きたい。

常々そう思っている次第でございます。

 

スランプもだいぶ落ち付いてきたので、ショートシナリオなどでリハビリをしていこうかなと思います。

今年もそろそろ終わりに近づいてきました。皆さんは、今年の目標にどれだけ近づけたでしょうか。まだ1ヶ月あるのでがんばりましょー

 

 

 

恐ろしきは無知ではなく知識の偏りである

今回は愚痴っぽい話でも一つ

 

少し前、シナリオの先生(師匠は違う方)からのメールの一文に

「お気に入りの作品を『天』『地』『人』で選んでみてください」

というのがあった。

皆さんはこの文章の意味がお分かりであろうか?

分かったあなたは常識人。すごい!

?と思ったあなたは今すぐ辞書を開こう!

 

という訳で、僕は後者だったので辞書をひらいた

すると「天地人」には物事の順序や順位という意味があるそうで、そこで初めて僕は

天地人に順位があると知ったのである。しかし、分からなかったのは1~3位なのかということで、これも後で調べたところ常識的に【天>地>人】ということだそうです。

 

自分自身、そこまで無学というわけではないので「天地人」という言葉は当然存じ上げているが、その言葉について「順位をつける」という概念が頭の中に無いのである。

僕にとっては天も地も人も欠くことのできない重要な要素であって、どれも1位。ちなみに麻雀の天和、地和、人和も全て役満、同じ点数だ。つまり「天地人」という言葉を使って、物事の優劣を決めるというのは愚劣だと最初は思ってしまったのである。

しかしそれは、兵家(兵法家)の考え方であって、古典的な兵法書や用兵書ばかり読んでいた自分は、そういった兵家思想に偏っていた。そのため現代の常識的な考えを理解することができず(正直今でも理解できてないと思う)、対応することができなかった。

このとき自分は初めて、真に恐ろしいのは無学ではなく知識の偏りなのだと悟った。

常識に疑いを持つのは大いに結構であるが、自分の思想を相手にぶつけたとしてそれが通用するわけが無い。いわゆる常識も現代にはびこる思想の一つなのであり、思想に優劣は無いのであるから、常識に対して愚劣であるとか、悪い意味でおかしいなどと思うのは傲慢であろう。

また常識人と呼ばれる多数派思想の持ち主も同じである。多数派が傲慢を持ったとき、それは悪い先入観を作る原因となる。だからこそ、リベラルな世の中を多数派が容認しなければいけないのだ。

 

僕個人としては、今の日本人に足りてないのは儒家思想だと思っている。

東洋思想なのだから、中国とかで現代風に体系化していないのだろうか?

あっ、でもそんなことしたら向こうじゃ逮捕されちまうか。実に残念。

兵家の僕の言えることじゃないが

今日も日本は平和です

 

重要なのは“役割”

昨日、ささっとですが、ある作品のプロットを書き終えて

ただ今、初稿の構成に難渋しているしているところであります

ファーストシーンが今一番の大きな壁です(涙

 

 

 

プロットを久々に書いたので、忘れないうちに自分流キャラ作りのコツみたいな

話をしておこうかなと。何で自分流なのかというと、一つは人物作りにテンプレートは存在しないということ。もう一つはウチの師匠が我流で脚本書いてるからです(笑

つまり我流の教えを受け継いでいる弟子が何人かいて、僕はその内の一人というわけですねぇ。(恐らくその中でも最も影響を受けていると思われる

 

ですから今回お話しする、キャラ作りというのは個人的に僕が心がけている方法論の一種であって、他にも皆さんに合ったキャラクターの作り方というのがあるはずなので、こういうやり方もあるんだな程度でお願いします。

 

僕は物語(ストーリー)における登場人物で最も重視するのは『役割』です。

ざっくり説明すると

 

(実際の脚本の人物欄は大体こんな感じです)

・Aくん……物語の主人公

・Bくん……Aくんのライバル

・Cちゃん……Bくんの幼馴染。Aくんに好意を寄せている=ヒロイン

 

みたいな感じに、どんな物語かは分かりませんが、3人の登場人物にはきっちりとストーリー上の役割が割り振られています。これは端役でないかぎり、全ての登場人物に『役割』を与えるのが原則です。

ですから僕の理論で言うと、登場人物が多ければ多いほど、キャラに対してなんらかの役割を与えなくてはいけないので、そういった作品には不向きなやり方だと思います。

ただ個人的に思うのは、役割のないキャラは端役と一緒で「ただそこにいるだけ」という印象を受けがちです。要は「キャラ立ち」してないということです。

 

では、キャラクター性を目立たせるにはどうすればよいのか?

答えは簡単。先ほどから何べんも口にした通り『役割』を与え、それが物語上できちんと果たされているならば、そのキャラクターは自然と目立ってくる。それがいわゆる「キャラ立ち」というものです。

中には、細かく人物設定をしている方もいますが、僕に言わせればそんなものはバックボーンに過ぎないのであって、むしろガチガチに固めすぎてしまってキャラを殺してしまっていることもあります。(ただ身体的な設定は例外)

個人的には『役割』さえ明確になっていれば、台詞や構成で困ることが減るのでこの手法をよく使います(作品評価の基準にもします)。

キャラをつくること自体は、慣れもありますが、とても簡単なことだと思います。

まぁやりかたは人それぞれですので、皆さんに合った、人物作りを模索してみて下さい

 

 

ミクロよりマクロ的展開を

一応、アニメデレマスが完結?したということで

ふと、思いついたことを話そうかと

作品が作品なだけに賛否両論あると思うし、ネタバレを含むので、論者的な話を嫌う人はブラウザバックでお願いします

imas-cinderella.com

 

 

 

 

 

 僕はアーケード時代からのアイマス派なので、正直言うとデレマスのことは良く知らない(ていうか765プロと876プロ以外殆ど知らない)。

そういう意味で、今回のデレマスは346プロのアイドル達を知ることができたいいきっかけになった。

しかし見ていて、あることにも気付かせてくれる作品でもあったと思う。

構成(展開)の重要性である。

1期目はわりと普通だったのに、2期目で一気に失速したのはなぜだろうか。

制作的な事情もあると思うのだが、前にも言及した「まれ」と同じように

1話1話は面白みがあるのだが、全体を通してみると

「これは誰が、何をして、どんな目的を果たす物語なのか」

という全体的な、最終的な命題を見失っている印象が残る。

結局「これは誰の物語だったのだろう?」と考えたとき

シンデレラガールズと呼ばれる少女たちの物語」という答えから逆算すると

やはり焦点を絞る必要性を感じる。その場合、徹底して無駄を省かなくてはいけない。

なのに、2期目から美城常務(漢字あってるよね?)なる上役が登場する。

彼女に何かしらの役割が備わっているのなら、話は別だが、何人もいる人物を描ききることを考えたら、人物を増やすことはマクロ的(大局的)な展開においてはかなり無理が生じる。「彼女は一体なんだったのか」と思わせてはいけないのである。

 

 

僕もあまり人様のことをいえないのだが、連続物を書いていると、1話1話に集中してマクロ的な視点を見失うことがよくある。ライターが何人もついていると殊更である。

結果的に個別(ミクロ)に面白いドラマやアニメが全体を通して面白かったかというと、わりとそうでもない。大体そういう作品は○○の何話が神回とかそんな評価で終わってしまうケースが多い。

最近の連続物はマクロ的な視点を見失っている作品が多くなっている気がする。

1話完結型なら問題ないが、伏線を張る時はもう少し丁寧にやれんのかと思うときがある。(打ち合わせで突っ込まれると恥かしいんだよな、コレ)

ミクロなシーンや話があって、マクロな物語が存在するのは自明の理であるが、書くときはもう少しマクロな視点(大局観)を持って作業に臨みたいものである

 

 

ちなみに僕は卯月ちゃんが好きです(知らんがな