心の墓場

ここは言葉の掃き溜め、墓地のような場所。                      愚痴が中心ですので苦手な方はお笑いでも見ててください。

シン・ゴジラ

彼岸なので、家族でお墓参りに。

その後、なぜか恒例行事と化している鰻を食し(墓前で手を合わせる=鰻を食う)、伯父さんと話題のシン・ゴジラを観にいきました!

師匠からもメールで「シン・ゴジラ面白かったよ。まんまエヴァだったけど」と来ていたので、いい機会だなぁと思い一家男たちで鑑賞。

耳に伝わる前評判がよかっただけに、どんなゴジラに(とういうよりも怪獣映画に)仕上がっているのかなぁと気になってなっていたんですよねぇ。庵野秀明×樋口真嗣のコンビですから「ゴジラ」というキーワードをどう解釈した作品なのかと。

そんでもって蓋を開けてみると……想像以上にエヴァでした。

師匠の言う通り、確かに面白いんですけど物語の構図が新劇エヴァ序と同じなんですよね。対ゴジラ班による作戦会議なんてまさにヤシマ作戦。同じBGM流れてたし(音楽はエヴァと同じ鷺巣詩郎さんです)。ファンサービスなのか、開き直っているのかは分かりませんが、マジでこのノリで作っているとすると庵野さんはもうエヴァンゲリオンみたいな話しか作れない人なのかなぁと思ってしまうわけです。エヴァが放送されてもう結構経ちますが、未だに日本のアニメや漫画(今回のシン・ゴジラも含めて)は新世紀エヴァンゲリオンという作品を超えられない、その向こう側へ到達できてないのだなと痛感させられました。「ゴジラ」を観にいったら中身は「エヴァ」だったわけですから(笑)

ただ、何も考えないで単純な娯楽映画、怪獣特撮映画としてはとても楽しめる作品だと思います。ゴジラなんだからもっとハチャメチャでもいいかなぁとも思いましたが(笑)

 

 

しかしながら個人的に思う所があって、それは『上層の出来事でしか話が展開しないこと』です。ざっくりいうと、ゴジラによって被害に遭った人たちに目線が殆ど行ってないんですよね。ゴジラの足元では凄まじい人たちが被害を被って苦しみの淵に立っているはずなんです。実際、シン・ゴジラでは人が死ぬシーンが殆どありません(匂わす描写はいくつか)。なぜなら物語そのものが役人対ゴジラという上層での対立構図になっているからです。たしかに、政府の官僚や自衛隊ゴジラをなんとかしなければなりませんが、同時に苦しむ国民を救助しなければいけません。核や放射線という前に、下層(ゴジラの足元)にいる一般市民にとってはゴジラは恐怖でしかないはずです。そういったところにどうして目が向かないのかと疑問を感じるわけです。そこで僕は、シンゴジをやたら持ちあげる人や何回も観た!とかいう人は上層の出来事――上辺だけの物語に満足してしまっているんだなと思ってしまうんです。(凄い偏見と見下し)

確かにシン・ゴジラは面白いです。でも薄っぺらい。しかしそれでも評価する人がいる。大切なのは政府の動きが云々ではなくて、ゴジラがいる中での人々のドラマだと僕は思います。

 

 

テイルズ オブ ベルセリア

少し前にPS4を買ったという話から。

新作のテイルズを購入して、今しがたクリアしました。僕は結構寄り道しちゃう方なのでクリアまでに70時間くらいかかってしまいました。他の方(ネットなど)の情報を見ると平均50時間くらいでメインストーリーはクリア出来る分量になっているようです。(どんだけまったりプレイなんだ……)

最近のテイルズからは遠ざかっていたのですが、シリーズ初の単独女性主人公でCVはなんと佐藤利奈さん。――これは買うしかねぇ!ということでサトリナ大好き大万歳な状態で久々にテイルズをプレイ(たぶんグレイセス以来)。したらね、意外にこれが楽しいのよ。新しい?戦闘システムがけっこう爽快でゲーム初心者でも楽しめる親切設計。でも物語(ストーリー)が結構重いので、テイルズシリーズとしてはあまり人に勧め辛い作品になってしまっていることが個人的に一番の弱点かなぁと感じました。ただゲームシステム(特に戦闘)は奥深く進化しているので、プレイして損のない作品だと思います。

 

 

た だ し 、まぁこれは職業病?みたいなもんなんで気にしなくてもいいと思うんですけど、いかんせんプレイしていてシナリオの展開が気になってしまうんですよね。僕はゲームシナリオは専門ではないのであまり強いことは言えないんだけど、まずキャラクターの役割が不明瞭。システム(戦闘)においては役割分担はあるんでしょうけど、物語中においては仲間が主人公にどのような影響を与えるのかをもう少し強調してもよかったかなと。

物語終盤になるとキャラたちのサブイベント(サブストーリー)ができるようになるのですが、むしろそれをメインストーリーに絡めるべきだろ!と思わずツッコんでしまいました。ベルベット(主人公)の話を追うだけでは寂しい気もするので仲間たちの人物背景が明らかになっていく進行の方が事件や物事に対して納得できる構成になるのかなぁと思いました。ただゲームシステムとの兼ね合いもありますので、単純なシナリオ論だけでは難しい課題でしょうね。

ただどう考えても、後日談で人物背景を明らかにするのは厳しいよね……

 

ゲームが一区切りついたので、原稿に勤しみます

誰かアイデアをくれ

 

総火演に行ってきたよ!

毎年恒例のすさまじい抽選倍率をくぐり抜け、チケットを入手したので

8/28に行われた陸上自衛隊総合火力演習を見てきました!

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えーっとまぁ、書きたいことも色々あるので先に結論から。

二度と行きたくないと思いました。

(毎回行くようなもんでもないと思いますが)

さすがは、火力演習だけあって迫力満点なのですが、それ以外の部分は雑です。演習場から外のことに関しては全く考えてないってぐらいの雑さで、帰り際の人たちの誘導すらまともに出来てません。最初から最後までの包括的な演習なのだとしたら作戦は失敗。総火演担当の指揮官及びその参謀に対して左遷人事をだしてますね、僕なら。

それぐらい今回の総火演で僕の陸上自衛隊への心証は最悪です。

見る分にはいいですけど、現地は地獄なので「総火演に行きたい!」という方はそれなりの覚悟でご来場ください。(人によってはコミケの方が全然マシです)

 

以下写真。(携帯で撮ったのであんまり鮮明じゃありません。ご容赦を)

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陛下の生前退位(譲位)ついて考えてみた

衝撃である。

帝が御身心を国民に伝えることは何度かあったが、なにより驚いたのはその内容である。「お気持ち」というレベルを超えて「お怒り」のように思えた。

しかし現行の天皇陛下及びそのご皇室は憲法と皇室法である皇室典範によって地位と行動が規定されているので、陛下のご意向にすぐさま対応することが出来ない仕組みになっている。しかも皇室は行政府と乖離しながらも政治影響力を持っているため、この『生前退位』問題というのは皇室全体の問題でもあるのだ。

 

とりあえず今回は、譲位(今上帝が存命中の内に皇太子に皇位を譲ること)について焦点を絞ってみる。

天皇制の歴史の中で、譲位というのは珍しい事ではなく日本史の授業でもやったように譲位した天皇――太上天皇上皇)が権勢を握った『平安院政期』が代表的なものといえるだろう。

しかし、明治になって帝国憲法が発布されると天皇や皇族の地位と権能は明確に規定され、二次大戦敗戦後に作られた日本国憲法でも国民を主権としながら天皇の地位は「日本国統合の象徴」として一定の機能を果たしている。しかしそういった、エセ立憲君主制度が今回の「お気持ち」につながったのだろうと自分は考えている。(敗戦国なのに天皇制を存続させてもらったので文句は言えないが)

現在今上帝は80を超え、なお公務をこなすスーパー爺さん(不敬)なのだが、天皇だって不死身じゃないし、体力も衰える。存命中に譲位というのはさすがに現実味がない。恐らく陛下は《公務不履行》の最終手段として『譲位』を示唆したのだと思うし、出来ればその前例まで残したいのだろう。幸い皇太子殿下は元気なので。しかし、その道のりは国民が許しても法律が中々許してくれない。

今上帝が譲位について突破すべき最大の問題は法律である。

1つは憲法上の問題。2つは皇室典範(皇室法)の改正である。

他にも色々あるが、一番正当な手続きとしてはまず日本国憲法第一章「天皇」を改正することである。憲法を改正しておけばそれに連なる皇室典範の改正もスムーズに行うことが出来るが、草案を国会で審議し、それを承認し、国民投票まで行わなくてはいけない。正当だがあまりにも時間がかかりすぎるのだ。

しかし、立法には特例法というのがあり、それによって皇室典範を改正するという手もある。憲法に規定された「天皇」条項は解釈問題とし、実際に皇室全体を規定している皇室典範を改正し譲位を可能にするというのが現実的ではないかと考えている。実際どうなるかは不透明だが。

 

今回の今上帝の「お気持ち」は譲位のことだけではなく、これからの皇室・天皇の在り方。そして国民へのご配慮が感じられた。藤原家の血脈を汲む者としては、天皇制はこれからも時代を変えながらも続いてほしいと思っている。今は小市民だが、心の中では帝の一臣下として、帝の体調と国体を案じている。

 

この生き方しかできないから

「出奔する。ここに私の居場所はない」

人生一度は言ってみたい台詞である。

漢の高祖劉邦を支えた参謀、陳平は類稀なる智謀を持ち合わせながら劉邦と出会うまで主君に恵まれませんでした。しかし、あまりにも智謀に優れていたため主君である劉邦に生涯警戒されることに。しかし陳平は自分の才を用いてくれた劉邦に恩義を感じ、警戒されていることを知りつつも漢の忠臣であり続けました。劉邦の危機には奇策で命を救うなど、彼の天下統一に貢献しました。

楚漢戦争に勝利した劉邦は高祖として「漢」王朝を建国する。高祖が没し、外戚である呂氏による功臣の粛清や一族による独裁政権が始まっていくと、功臣たちは陳平を頼るようになります。陳平は表では呂氏に協力的なフリをして、水面下で政権を取り戻す謀をめぐらせていました。陳平は生き残りの功臣たちと一斉にクーデターを起こし、呂氏一族を粛清。新しい皇帝(文帝)を即位させ、漢が呂氏のものになるのを阻止しました。

陳平という男がいなかったら中国の歴史は大きく変わっていたかもしません。

漢の末期、曹操は人材登用のキャッチコピーに「今世の陳平求む!」みたいなことを使っていたそうです。陳平は素行があまり良くなかったことでも知られているので「不良でも陳平クラスならOK」ということでしょう。陳平クラスってハードル高いような……

 

 

中国に関わらず、世の中には埋もれていった才人が多くいます。

社会や企業なんぞは能力重視などと喧伝しますが、そんなものは大嘘です。

外国ならいざ知らず、この国は能力よりも年齢を重視するからです。

自分より劣っている人間でも、年上である限り頭を垂れ、気を使わなければならないのです。

確かにある程度の礼節は必要ですが、年上というだけで何がそんなに偉いのでしょうか。

実力があり、何らかの役職に就いているのならば、礼節を持って支えるのが普通なのでしょうが、ただ若いというだけで侮られる。

どんな人間であっても、どんな歳であっても敬意を持つ自由がこの国には殆どない。例え実力があっても、年齢という壁が邪魔をする。大変やりづらい。

「君は人の下につくタイプじゃ無いと思う」

じゃあ王様にでもなれってかw

いいなぁ、王様になって美女を囲みたい

などと妄想しながら、今は自由気ままにシナリオを書いている

この生き方しかできない。体に染み込んじゃってるんだね

 

 

 

心理検査

気付けば、6月……もう夏やんけ!

なんだか時が経つのが早く感じます……

 

昨日、この前受けた心理検査の所見を聞きに外来へ。

主治医の先生が変わってしまったので、検査が色々あったりするのよね。前の医師と方針とか考え方は違うけど、医療方針としてはゼロからのスタートではない。しかし新しい主治医との人間関係は0から築いていかなくちゃいけない。実際、前の先生とは5年ぐらいお世話になってるから、そこまでいくと顔色一つでどんな状態か分かってしまうらしい(その人がベテランの医師っていうのもあるけど)。

個人的にいい医者ほど、治療より信頼を第一をする人が多い気がする。信頼関係が出来てなければ、治療計画が上手く進まないことをよく知っているからだ。その日だけの当番医や雇われの外来医なんかは、長く付き合う必要が無いので非常に業務的。捌かなきゃいけない人がたくさんいるから。

しかし一生お世話になるかもしれない主治医やよく通う開業医なんかは、まず患者の信頼を第一に考える。内科系――特に小児科や精神科はその傾向が強い気がする。

今の先生は悪い人じゃないんだけど、まだ業務的な感じがする。若い先生だから、臨床経験の差なのかもしれないけど。医者は患者を診るのが仕事だが、それ以上に患者は医者のことを見ている。性格・口調・顔つき・雰囲気……患者は問診の中で医者のあらゆる部分を見ているし、患者自身ドクターショッピングにならない様、観察し駆け引きすることを覚える必要がある。

話がだいぶ逸れてしまったが、心理検査の結果は特に問題なし。強いて言うなら、言語性優位で一つのことに没頭しやすい傾向にあるぐらい。そんな事自分が一番よく知っとるわ!(心の叫び

ちなみに今度は職業適性の心理検査をやる予定。ネットでやるようなやつじゃなくて、病院で臨床心理士が担当するガチのやつ。ちなみに主治医は検査入院で状態を精査したいらしい。ぶっとばすぞ。

 

 

暗中模索

最近、500円で買った戦国BASARA4にハマっています。

中古品だけど、500円で遊び応えは十分なのでよい暇潰しになっています。

この一か月で漫画とかも買い漁ってしまい、部屋中が漫画だらけ。

本棚にスペースが無いのを知っているのに、ついつい買ってしまうんですよね。中古でも何でも。新しい本棚買おうかな……(でも本棚を置くスペースも無い)

 

紆余曲折あって、「お前アニメ向いてんじゃね? アニメ書いてみたら?」という結果に落ち着いたので、師匠にアニメ脚本のプロットを見せたところ「アニメのことはよく分からん!」と言われ、その筋の大御所を紹介していただくというたらい回しっぷり。ただ、アニメの先生を紹介していただいたのはホントに感謝です。(向こうも今が耐え時って言ってたし)

それで、アニメの先生にプロットを見ていただき、シナリオを書くことをになったのですが……まぁ当然筆が進むことは無く、戦国BASARAで遊んだりして、ファーストシーンをずっと考えてます。

ちょっとお話に風呂敷を広げすぎたのか、プロット上のストーリー展開では尺に収まりきらないので、話を少し切り取って編集しなければなりません。その場合、ファーストシーン――話の始発点をどこに据えるのかで、エンドシーンまでの流れが大体決まります。ですから、ファーストシーンというのはシナリオを書く上での心臓とも言えるのかもしれません。

僕の場合、ファーストとエンドが決まらないと書かない(書けない)主義なので、〆切ギリギリになってもファーストシーンが浮かばなければ、本当に書かない。逆にファーストが決まれば一気に書き上げるので、とにかくファーストシーンに重点を置くタイプの人なのだと思います。

 

現在も、どこから話をスタートさせようか苦悩中。

エンドはもう決まっているので、どのファーストシーンが最善手なのか悩みまくり。だったらとりあえず書けと思うかもしれませんが、書いてもボツになるのことは必定なので、プロットと睨めっこが続いています。数式を解いてる感覚に近いやつです。

〆切まで時間はあるので、戦国BASARAでもしながらじっくり考えます。