心の墓場

ここは言葉の掃き溜め、墓地のような場所。                      愚痴が中心ですので苦手な方はお笑いでも見ててください。

花神

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4月になり、桜が美しい季節となった。(今となっては散り桜ですが……)

中国では花咲か爺さんのこと「花神」と呼ぶらしい。

東京の桜の開花宣言は九段下にある靖国神社の桜が基準となっている。

その靖国神社に一人の銅像が立っている。村田臓六こと大村益次郎である。

そう、変な縁ではあるが桜の名所に大村益次郎の像が立てられているのは大変面白い。司馬遼太郎の小説「花神」の主人公はなんと大村その人。

小説の中で彼は「明治という時代を作るための花咲か爺さん――花神だったのかもしれない」という言葉で評され締めくくられている。

志半ばで生涯を終えた益次郎であったが、その後は自らが建設に奔走したという靖国神社で美しい桜の木々と日本の未来を見据えている。本当の意味で彼は桜という花を咲かす「花神」となったのは偶然であろうか。

 

 

前説で話した通り、大村益次郎(村田臓六)は司馬遼太郎の小説「花神」が世に出るまで、有名な人物ではなかった(維新十傑の一人なんだけど)。

僕が初めて彼の事を知ったときは「元々医者のくせに何をどうしたら三兵戦術なんか編み出せるんや」と驚きを超えて呆れかえってしまった。さらに大村の凄いところは、独自に三兵戦術を開発したところであって、西洋諸国の使う用兵術とは少し異なる。新政府軍の主力は三兵(歩兵・騎兵・砲兵)ではないので、大村の開発した用兵術というのは「三兵戦術に似た何か」と言った方が正しい。だから僕はいつも大村式三兵戦術と呼んで、西洋や平地戦闘における一般的な三兵戦術と区別している。

しかしながら、戦術や戦史を研究する上で大村の軍事的才能や戦闘術などは感嘆に値するものがあり、吉田松陰は兵学者であるが、大村は村医者である。そんな彼が兵学の心得が無かったところからスタートして戊辰戦争を終結させたというのはある種の奇跡ではないかと思っている。大村益次郎の存在なしに、長州藩の存続、江戸城無血開城戊辰戦争の勝利、そして明治という新しい時代を迎えることは出来なかっただろう。幕末という時代に登場し、役目を終えて生涯を閉じるという潔さを「花神」と評したのは、中々のセンスである。

僕もそんな「花神」になりたいものである(笑

 

 

大村益次郎は軍事だけではなく、様々な才能に満ちた人物だった。ざっくり言うと守備範囲が広く、請け負った仕事は可能であるなら確実にやり遂げる合理性を持ち合わせていた。

僕もそんな大村の多才さや実務能力に憧れ、どんなジャンルのシナリオも書けるように修練を重ねてきた。おかげで頼まれれば、大体のジャンルのものは書けるようになり、原稿を落とすことも殆どなくなった。

この前、師匠と話し合い、僕の考えるシナリオの形を語ったところ、師匠は渋い顔で「気持ちは分かるが難しいだろう」と語った。僕のシナリオについて言及し「乖離してるものを強引にかけ合わせている感がある」と、もうすこし腰を据えて理想形を探って見ろという助言をいただいた。

大村のように幅広く、そしてシナリオに対して挑戦していくスタンスを取っていたが、師匠の言う通りここはいったん舵を切り、じっくりと得意な分野を極めてから理想形を探るというのも一つの道なのかもしれない。

 

大村先生ならどうしただろうか。

……そんなこと考えても仕方ないのは分かっているが。

 

 

1560年(永禄3年)尾張の地に奇跡が起きる。その奇跡はやがて一人の青年を天下人ならしめ、そして一つの時代を創る。

しかし奇跡といってもはっきり言ってしまえば「タイミングが良かった」の一言であり、その青年の凄まじいところは大一番の大戦で「雨」を降らす生来の雨男であるにもかかわらず、姉川や長篠の合戦では天候に恵まれ勝利を収めるなど、まさに天に選ばれた男であった。

しかしそんな男も人には選ばれることは無く、多くの離反が続く中、最も信頼していた家臣によってこの世を去る。享年49。人間50年とはよくいったものである。

 

今日はそんな信長の話ではなく……

江戸東京博物館ダ・ヴィンチ展に行ってきました。

2,3月辺りから展示の事は知っていたのですが、4月までやってるから別にいっかーみたいな感じで先送りにしていたら、ダ・ヴィンチ見た友人から「めちゃくちゃ混んでるから覚悟しろ」みたいなこと言われたので半ばあきらめていたのですが、今週で展示が終わると知り玉砕覚悟で江戸博に突撃を決意(混んでると言っても入れない訳ではないので)。

しかし、鉄砲玉になるつもりはないので雑であるが作戦を立てる。この時期なら朝一番に入れば混雑も少ないだろうと予想し、いつもより早起きすると……なんと雨が降っとるではないですか! その時私は勝利を確信し、織田信長桶狭間で今川を破った話を思い出して、例の前置きに繋がるんですね。

「時期・時間・雨」の三要素が揃った結果、案の定展示はまだ空いていて、ゆったりとダヴィンチ展を楽しむことが出来ました。

個人的にはやはり雨が一番大きいと思います。ジーンズの裾が散り桜で濡れてしまいましたが、そんなことはどうでもいいです。科学的芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチの作品や思索に触れることの方が意義があるのだから。

これからも面白い展示が続くので、今年は美術・博物館めぐりに精が出そうです

 

 

天才の理論

天才に決まった「理論」というものは存在しない。

仮に天才の理論があったとするならば、彼の考えていること――思考そのものが理論であり、それを凡人が聞いてやはり理解できるはずもないのだ。

今時分これを書いているとき、僕は憤っているが、同時に心地よい気もした。

なぜなら人々から全く理解されずに、才能すら侮辱された。

その時は「どうして分かってくれないのだろう」と悩んだが、上記のことを考えたら割とさっぱりと開き直ることが出来た。

そうか、周りが皆凡人だから理解できないのか。

普通の人が持ちうる「理論」を飛び越えてしまったから理解できないのか。

そもそも理解されようと迎合することが変に自分を悩ますのかと。

だから僕は天才になることにした。実際そうかは置いといて。

そういう風に開き直ることで「自分は異質」なのだというアイデンティティを得ることができる。これは前に進むという意味では大きな力だ。

 

どうして周りと強調する必要がある?

なぜ他者と共感しなければいけない?

どうして自分の魂に嘘をつくのか?

 

実行すれば、確実に孤独になる。一人ぼっちになる。

しかし自分の才能を潰したくなければ孤独の中で生きなければならない。

一般群衆の中で天才は生まれないからである。

これから天才になろうとしているキミへ

自分は天才だと思っている人々へ

これだけは伝えておきたい

真に天才なる人は世人から評価されないのだと。

他者の評価など所詮、結果論でしかない。俗人は結果しか見えないのだ。

評価が欲しいのなら、律儀に生きている方が賢明である。

だから思うがままにやってみるといい。

それが羽ばたくための第一歩だ。

 

 

 

最後の教え

今週のお題「卒業」

らしいので、まぁちょっとそれっぽい事を書いてみる。

3年ほど前になるか、僕は家庭教師のアルバイトをしていた事があって、初めて所謂「教え子」というものを得た。

そのご家庭からは「作文の書き方」と「国語」を教えてほしいと頼まれた。教え子は小学四年生のかわいい男の子で瞳のくっきりとしたサッカー少年だった。お母さんから話を聞くに漢字が苦手だったり、文章を書くのを避ける傾向にあるというので、本格的に勉強を教える前に、その子の分析から入り、独自のカリキュラムを組むことにした。同時に中学・高校で使うことも考え、今のうちに電子辞書を用意してもらった。実際その電子辞書が教えることにあたって大いに役に立った。

おかげで教材探しに本屋を回ったり、自ら教科書となるもとのを策定するなど忙しくなってしまったが、おかげで教えることに難儀するということは殆どなかった。ただその子が突然B型インフルエンザにかかってしまい、僕が一日看病する一幕もあったが。

話は少し戻るが、僕の仕事は「作文と国語を教える」ことだった。その時の僕はちょうど師匠の門下生としてシナリオの勉強を始めたころで、作文――というより文章の書き方を教えるにあたっては、シナリオの書き方を参考にして、少量の文章を多く書かせ、いかに作文であっても展開と構成があるということを小4の内から徹底して教えた。(高校の時に小論文を塾で習っていたというのも幸いだった)

その甲斐あってか、2週間ほどで2枚書くのが精いっぱいだった少年が、原稿用紙5,6枚も書けるようになり、彼の文章アレルギーみたいなものは多少良くなった。しかし、文章というのは書くに適切な分量がある。次に僕は仕上げとして、5~6枚の作文を3~4枚に削る様に教えた。無駄な話題を削ることで内容をわかりやすくする、文章(シナリオ)を書く上での技法の1つである。

この「文章を削る」という作業は少年も相当苦労したそうで、僕もその作業はあまり得意ではなかったので、一緒に考え、話し合い、どこが余計な部分なのか探す授業が続いた。授業の中でその子にもコツみたいなものが分かったらしく、作文も3.5枚程度の分かりやすい内容に仕上がってくるようになった。

結果、その子は夏休みの読書感想文で地元の文集に載ることが決まり、作文を教えるという目的は達成された。その後もご家庭の意向でもう1年ほど教えることになったが、その子が小学5年生くらいになったあたりに辞めさせていただいた。教えることが無くなったというのが大きな理由だった。

 

あれからかれこれ、3年ほど経っただろうか。突然、彼から連絡がきて「受験で私立の一貫校に合格した!」と吉報を受けた。「おめでとう」という言葉の前に、彼はもう中学生なのかという時間の流れを感じた。それでもめでたいことに変わりはない。

僕は少しばかりではあるが、進学・合格祝いを彼に渡しに行った。久々に会った少年は背丈が大分伸びてお母さんと同じくらいになっていた。成長期だなぁと感じたし、やや大人びて凛々しくもなった。

少しだけ彼と話す時間を頂いた。小学校を卒業して、知らない学校に進学する不安感、勉強についていけるかなど、わりと色んなことを相談されたので「受験も頑張れたのだから、これからだって頑張れる」みたいなことを言って、元気でいればそれが最上であると答えた。最後に彼はサッカー少年だったので、こんな話もした「技術は努力でなんとかなる、体躯は工夫で長所に変わる、最後に勝敗を決めるのは心の強さだ」と。ある漫画の台詞の引用だが、気に入っているので使わせてもらった。精神論と思われるかもしれないが、はやり最後に勝つのは挫けても立ち上がる不屈の心なのだと教えた。

これが僕が彼に授けた最後の教えとなった。

 

 

 

大切なのは立ち向かうこと

今日は2月29日。

4年に一度来る、珍しい日でもあります。

そんな日、わたくしは某美術大学の卒業制作展に行っておりまして、久々にちょっと遠出をしました(つーても都内ですが……)

まぁどうして美大の卒展に行ったかと言いますと、知り合いが出展してるので来てほしいみたいな事を言われたからなんですよ。その知り合いというのも、十数年ぶりに会うもんだから、名札がないと分からないんですよ(笑

久々にお会いして「今どうしてるの?」みたいな事を聞かれると、それはそれで答え辛い。「大学に居座ってる」なんてあんまり言いたくないし……まぁ正直に答えましたけど。

シナリオのことについても少しですがお話して、今書いてるやつが行き詰ってて辛いだとか、自分は向いてないんじゃないか、みたいな要らん愚痴まで吐いてしまって。そうしたら知り合いの方が「芸術の世界も同じ。創り出すことってもの凄く辛いんだよねぇ」と励ましてくれて、「完成させることも大切だけど、それと同じぐらい挑戦し続けることも大切。キミはたぶん後者なんだろうね」と謎名言を残してくれました。ありがとう先輩。

知り合いの方も卒業制作をするにあたって、担当の教員の指導を受けながらも、結局は自分一人で創造しなければいけない。目標が明確になるまでは辛かったらしく、それでも試行錯誤の連続だったそうです。

結局、創作ってそういうことなんですよね。悩んだり、辛い思いをしたからこそいい作品が生まれる訳で。十数年ぶりに顔も覚えていないような先輩にお会いして、忘れかけていたチャレンジ精神、というより既存の概念に立ち向かう精神を思い出すことができました。

天気はどんよりしていましたが、心はスカッと晴々とした一日でした。

 

二兎を追ってもいいじゃない

最近、シナリオを書いていて気づくようになった

もしかして自分は今までにない考え方でストーリーを書いているのではないのかと。

そういうことを考えると何だか腑に落ちることが多い。

物語には必ず主人公がいる。(というかいなきゃいけない)

しかし、僕の場合この主人公の扱いが特殊らしく

通常ならば人物描写というのは

主人公=主役

であるのが一般的なのに対して、僕の描き方は

主人公≠主役

という思想の下で物語が成り立っている。

 

ほら、もう何言ってるか訳わかんないでしょ

砕いて説明するならば、物語において《主人公=主役》となるべきはずが、主人公と主役を分離させてストーリーを考えている節があるということだ。

ちなみに端から見ると主人公が2人いるように見える。いわゆるダブルキャストというやつだ。そういう作品は結構あるので、珍しいわけではない。しかし日本ではダブルキャストダブルヒロイン的な作品の理解に乏しい面が感じられる。(いわゆるバディ物が減ってきている)

プロットを書くときに、一応「コイツが主人公!」と決めているのだが、いざ書いてみるとダブルキャストダブルヒロイン)的な描写に落ち着いてしまうことが多々ある。

師匠にもよく「誰が主人公なんだ!?」と言われることがあるが、シナリオを書く上で、主人公を明確にする必要があるのだろうか?

「誰かの物語」というのはシナリオの基本中の基本だが、個人的には物語そのものが丸く収まればいいと考えているので、その中の人物なんて手駒以外の何でもない。なら、手駒全体の動きを僕らは書けばいいわけで。

そういった考えが理解されない、通用しないというのなら、僕はこういったことに向いてないのかもしれない。

 

二兎追う者は一兎をも得ずというが、二兎を追ってもいいと思うのだ。

僕はシナリオを書いているというより、シナリオに挑戦しているといった方が正しかったのかもしれない。

 

 

 

目に映るものは大体が演出

広瀬すずちゃんに注目し始めたのは、わりと最近(5年前くらい)で初めて見たときに「なんだこの可愛い子は!」と僕のロリコンセンサーが反応したわけですよ。ちなみにその頃は橋本愛にお熱でした。

その後、彼女はトントン拍子で有名になっていき今や映画やドラマのヒロインとして引っ張りだこです。まぁそんなことはどうでもいいのですが……

 

今日は演出の話。

怪盗山猫というすずちゃんヒロインのドラマを見たのですが、主演の亀梨和也くんと広瀬すずちゃんが声を荒げながら対決?するシーン。亀梨くんたちの演技を称賛する一方で、正直言って「やかましい」。脚本そのものにあまり問題はないとないのですが、いかんせん山猫の演技にクセがありすぎる。

対決するシーンもうるさいだけで、もっとコミカルに対決させた方が二人のキャラクターが映えるのではないのかと。正直、この路線がずっと続くと思うとかなり重いドラマになるんじゃないかなぁ。お話ではなく演出的に。

例えば、叫ぶシーンとか泣くシーンがあるとするじゃないですか。でも実際にやられると愉快ではないですよね。だから、そういう感情の爆発点みたいなところはトドメの一押しという場面で差し込む。でもドラマ本編ではそういうシーンの尺が長かったからか、ちょっと不愉快になってしまったんですよね。

半沢直樹でもそうだったんですけど、あれも結構声を荒げる演技がくどいなと思って見てました(笑)

そういう意味では同じ日テレの花咲舞が黙ってない!はそこら辺すごく上手で、だから高い視聴率につながったんじゃないかと。

 

映像作品の演出ってもの凄い力を持っているんですよ(現場では)

どんなダメな本を書いても、いい演出家がついてれば名作になってしまうし、当然その逆もあるわけですよ。個人的に怪盗山猫の場合はちょっと演出過多かなというシーンや役作りが目立った気がします。(正直、原作を知らないので何とも言えないんですが)

僕も書くときに気をつけているのですが、感情をさらけ出すシーンは本当に書くのが(表現するのが)難しい。演出もそれに準ずると思うのですが、そういったシーンほど慎重に演出してほしいなぁというのが最近思うことです。

たぶんどの演出家の方も苦慮されてると思うのですが、本をダメにするのだけは止めてね、うん。